社協だより「人として」9月号を発行しました。
記事にも紹介した地域の方の言葉で、私もそう感じています。学校でも地域活動でも様々な制限が求められ、子どもから高齢者まで交流の機会が減り、つながりの形は変容しました。
しかし、今まで見えていなかったことに気付かされたこともありました。
私自身が感染し自宅療養中。近所の方たちや友人が心配し、買い物や食事に困っていないかと、次々に差し入れを玄関先に届けてくださいました。こんなにも気に掛けてくれる人が身近にいたのだ、とつながりの有難さ、心強さを感じました。
一方、近所の方が「必要な物があったら買い物してきましょうか」と声をかけてくれたものの、そんなに頼って良いものか…とためらい、結局市外の身内にお願いしたこともありました。
誰にでも非常時は突然やってくること、自分も周りに助けてもらわないと生活できないことを改めて自覚しました。それを普段から意識し、いざという時に助けてもらえる心構え【受援力】を身に着けておくことが大切かもしれない、と学ばされました。(喜)
記事にもあるシブリングサポーター研修。冒頭、素敵な言葉で始まりました。
「今日の話がきょうだい自身や親御さんでなくても、心に刺さりすぎることがあります。どうぞ上手に自身の心を守りながら聞いてください」
私の幼馴染は、小学生の時に兄弟を亡くしています。
大人になって話してくれました。
「実は、誰にも言えなかったけど学生時代が本当にきつかった。その頃から誰かに分かってもらいたいと期待することをやめてしまった」と。
シブリングサポーターのような気持ちを伝えられる人がいれば、もっと楽に生きられたんだろうなと思いました。
「家族に自分の気持ちを全部分かって欲しいと思ったこともあった。けれど、責め続けるのもつらいから、仕方ないところもあるのかなって、許すことができた時、楽になった」とも話していました。
今では沢山笑う幼馴染。自分が心から楽しいと周りも楽しいことを知っているみたいです。 (実)
お申し込みページはこちら
社協だより「人として」8月号を発行しました。
本紙で紹介した奥田知志氏の講演では、「相模原事件」も話題に。
加害者の青年は、「役に立たない障害者に多額の税金を使うのは皆の迷惑だ」「障害者は不幸しかつくれない」と、受け入れがたい主張をしました。
そんな青年に、奥田氏は4年前に面会したと話されました。
「君はあの事件の直前、役に立つ人間だったか?」と尋ねたところ、一瞬考えこみ「僕はあまり役に立ちませんでした」と答えたそうで、「この事件の真相は、この辺りにあると思った」と言われました。
つまり、「役に立つ」「立たない」で線引きされている世の中であり、役に立たない者は必要ないという、いわばうば捨て山社会になっていないか、と。
であれば、「19人をも殺めたあなたに生きる資格はない」と言ってしまうと、青年の受け入れがたい主張と同義になってしまう。
「何のために生きるか、ではなく、生きること自体に意味があるという捉えなおしが必要」と氏。そして次の言葉で講演は終わりました。
「もし加害者の青年に会ったら、あなたは何と言いますか?」 (善)
社協だより「人として」7月号を発行しました。