不登校・引きこもり家族の会【サルビアの会】を更新いたしました。
不登校・引きこもり家族の会【サルビアの会】を更新いたしました。
社協だより「人として」3月号を発行しました。
ひきこもっていたが、数度の利用後、アルバイトに就いたAさん(30歳代)。
ふらっとスペースの利用を始めて数か月後、他県のNPOで就労体験に参加したBさん(20歳代)。
当初は 数分の見学のみだったが、今では週2回来所。内職の納期を気にすることもあるCさん(20歳代)。
定期的に内職をすることで仕事への心の準備ができ、週2日の就労が実現したDさん(40歳代)、などなど。
本号「居場所の力」でもあるように、ありのままを認められる場所、必要とされる場所は、とても大切です。
しかし、ひきこもり者や若者を支える仕組みや居場所は多くなく、「それは自己責任では?」という空気も。そんな社会にあって、ヘルプを出そうにも出せない人が多いのでは…。
ひきこもる本人というよりも、若者を支えれていない社会の側に問題があるのでは…と思えてしまうのです。 (善)
社協だより「人として」2月号を発行しました。
不登校・引きこもり家族の会【サルビアの会】を更新いたしました。
昨年末、市内で長年自立生活を続けてきたSさんが亡くなりました。
Sさんは重度の身体障害と言語障害がありましたが、一人暮らしを続け、屋根付きの電動車イスと文字盤を駆使して、日々街へ繰り出しました。
そんなSさんとの出会いは、私にとって衝撃的でした。率直に「こんな重度障害がある人が一人暮らしをするなんて無茶だ」と思いました。
しかし、Sさんは近所の人、行きつけの店、ヘルパー、飲み友達・・・様々な人の手を借りながら確かに筑後の街で生活していました。私にも文字盤を使いながら伝わるまで「よかよか」と根気強くコミュニケーションをとってくれました。そんな姿を見ているうちに、私の中にあった「無茶だ」という思いも消えていきました。
自分の住みたい街で暮らす。気心の知れた仲間と会話する。そして自分ができないことは誰かの手を借りる。そんな当たり前のことに障害があるか、無いかは関係ないんだよ。
緑色の車イスでガタガタと街を歩いたSさん。その姿で私に大切なことを教えてくれました。 (拓)
社協だより「人として」1月号を発行しました。
不登校・引きこもり家族の会【サルビアの会】を更新いたしました。
不登校経験のある青年の話。
「障害のある兄のことをバカにされることがきっかけで不登校になった。しかし、そのことは親には言えなかった。親は兄のことで一生懸命だった。
当時の先生は、私を学校に通わせようとしてくれた、しかし、兄のことをバカにするクラスであることには変わりはなく、しばらく学校には行けなかった」
そして、「私だけではなく、障害者をバカにするクラスメイトへのアプローチが必要だと思う」と彼は言いました。
この話は、とても大事だと思います。
様々な福祉課題を抱える人が増えている時代。その人たちだけへのサポートではいけない、という示唆がそこにはあるからです。
例えば、椅子取りゲームをすると、誰かが座れません。どれだけ努力をしても、必ず座れない人が現れます。
皆が椅子に座るためには、椅子を増やす、座席を分け合う、といった工夫が必要で、それは椅子に座っている人も当事者として考えるべきことです。
ゲームと福祉課題を一緒に考えるべきではないかもしれません。しかし、自己責任という考え方だけではいけないのだと、私は思うのです。 (善)
不登校・引きこもり家族の会【サルビアの会】を更新いたしました。