総合福祉センターたくさんの動物が遊びに来たよ。
隠れている動物を何匹見つけれるかな?みんなのチャレンジをお待ちしています!
(本イベントは、イベント募金です。参加費は全て赤い羽根共同募金に寄付します)
総合福祉センターたくさんの動物が遊びに来たよ。
隠れている動物を何匹見つけれるかな?みんなのチャレンジをお待ちしています!
(本イベントは、イベント募金です。参加費は全て赤い羽根共同募金に寄付します)
「資格取得のために行った実習先で『あなたが実習して何になるの?』と言われたことが、心に刺さっている」
社会福祉士の有資格者の話です。
この言葉が投げかけられたのは、彼には脳性麻痺という障害があり、車イスを利用しているから、でした。
そんな彼は、障害者プロレス団体に所属し、何度もリングに上がっていました。また、旅行が趣味で、日本各地に赴いています。
しかし「自分らしい生き方よりも、『障害者=困っている人』と見られることばかり。困っていること以外の姿を、世の中の人は見ようとしているだろうか?」と言われてしまいました。
昨今、「地域共生社会」という言葉が多用されます。地域で共に生きる社会を目指すわけですから、ある時は支え、ある時は支えられるという、人と人の関係性が流動的であることが、自然な姿なのだろうと思います。
そう考えると、前述の彼の次の言葉が、そのヒントになる気がします。
「困っていること以外の部分を見てみませんか?」 (善)
社協だより「人として」6月号を発行しました。
5e6195ea3253d72092bae22ccde99fe0社協だより「人として」5月号を発行しました。
f57ccd9e612650b3f65affa80b15d982-1近所付き合いを若者は求めていない、という印象を持っていましたが、それを変える出来事がありました。
先月、住んでいる地域で懇親会を兼ねて花見をしよう、と初めての計画をされました。しかし当日は雨。会場を屋内に変え、役員の方は「若い人はわざわざみんなで食べずに持ち帰るだろう」と、小さな部屋を用意。ところが実際には、多くの方が懇親会への参加を希望したのです。
子どもたちは、毎日見守りをしてくれる地域の方にお礼と自己紹介をしたり、仲良く走り回ったり、大人もお互いに交流や情報交換をしたりと、賑やかなひと時になりました。
参加者のほとんどはコロナ禍に引っ越してきた世帯でした。話してみると共通して、「話したいと思っていたけど、ためらっていた」「近所にいても顔を合わせるきっかけもなかったので、こうしてつながれて嬉しい」という言葉が聞かれました。
人との接触が制限され、当たり前につながることができない経験をしてきました。その中でその大切さを再認識し、地域や人とつながりたい、と思っている人も増えたのかもしれない、と感じています。 (喜)
記事にもあるひとり親のためのくらし応援講座では、心の動揺を減らすために「協働調整」の大切さも話されました。「協働調整」とは、同じことで悩むグループなど、安心する人との関わりの中で心が安定するというものです。
筑後市母子寡婦福祉会(以下、母子会)では、ひとり親の皆さんと、かつてひとり親だった寡婦の皆さんでイベントや講座を通して交流し、悩みを共有したりしています。
会員の方からは、「話してみて自分だけじゃないと知って楽になった」「寡婦の皆さんが悩みを乗り越え、明るく過ごしているのを見て前向きになれた」といった声を聞きます。
母子会の皆さんだけでなく、生きていく中で落ち込んだり、悩むことがあります。「協働調整」によって、気持ちがラクになったり、元気をもらったりします。自分だけで、どうにかしようと考えるのではなく、安心できる居場所で、誰もがいつでも助け、支え合える関係をつくれたらいいなと改めて思いました。 (実)
社協だより「人として」4月号を発行しました。
9e6a54cc0d7aab19780e3c063c3b1035社協だより「人として」3月号を発行しました。
ebd6e835f34b487385f8b7b6a7b920ae本号でも紹介したきょうだい会には、幼少期に知的障害の妹を病気で亡くした女性も参加しています。
「同僚に、『きょうだいいるの?』と尋ねられると、どう答えたものか、いつも悩む」
「『妹は障害があり、病気で亡くなった』と言うと変な空気になるのは分かっている。だから、『きょうだいはいない』と言ってしまう…」
「だんだんと、妹のことを知っている人が少なくなっていく。だけど、私には妹がいた。妹の存在が消え去らないために、きょうだい会に参加したい」と彼女は話します。
だんだんと遠い過去になりつつも、妹との思い出を話す彼女。きょうだい会のメンバーは、「うんうん」と、ただ話を聴いています。
幼少期に身近な人を亡くすのは大きな出来事です。
今、グリーフケアが着目されています。これは、身近な人との死別の悲しみに寄り添うことです。
多死社会を迎える中では、悲しみに寄り添ってくれる人や場はとても貴重です。そして、そんな人や場とつながっていることが、これからを生きる力になると思うのです。 (善)