福岡県筑後市の社会福祉法人 筑後市社会福祉協議会

「声をかける、ちょっとの勇気を」

 先日、「今のクラスが嫌い」と言い出した娘。理由を聞くと、体調を崩して休んでいた子が久しぶりに登校してきても、「大丈夫?」「治って良かったね!」など、誰も声を掛けない。同じように自分が休んでいた時も声を掛けてもらえず、何だか寂しかった…と話してくれました。

 そして、児童養護施設で過ごしていた人が「私たちのことを気に掛けてくれる人の存在に、気持ちが救われた」と話されていたことを思い出しました。自分自身を振り返っても、不安や寂しさでその場にいるだけでも精一杯という状況で、気付いて声を掛けてもらえた瞬間に安心できたことを覚えています。

 何かを手伝ってもらうでもなく、ただ自分を気に掛けてくれている人がいる、と感じられるだけで、その場の居心地が良くなり、そこが自分の居場所になっていく…。生きていく上では、そうした人の存在が誰にとっても必要なのだと、娘のつぶやきから改めて気付かされました。

 まずは、周りの人のことを気に掛ける、ちょっと勇気はいるけど声を掛けることができるようになる。それが娘と私の今の目標です。 (喜)

「僕たち・私たちのことを考えてくれる人がいたんだな」と思い出せる経験の提供

「夏休みはいらない」。そんなニュースを目にしました。

つまり、困窮している家庭にとっては、「給食がなく食費がかかる」「エアコン代等の利用で光熱水費が負担になる」というのです。

また、学校外で得られる体験や機会にも格差が生じる「体験格差」も指摘されています。

このような、「子どもの貧困」が社会問題化して久しくなりました。

一方で、「地域の子どもたちのために何かできないか」と考える大人が増えているのも事実です。

学習支援・食事提供・遊びの場の提供など、今夏も複数の地域で、子どもの居場所づくりに取り組まれました。そこには多くの子どもが集い、安心で安全な環境で過ごせました。

私たちにできるのは、「僕たち・私たちのことを考えてくれる人がいたんだな」と、思い出せる経験の提供なのかもしれません。

そして、誰もが安心して集える居場所は、例えば困窮している家庭の子も、気兼ねなく安心して集えるのだと思います。 (善)

「公園には今もきれいな花が咲いています」

 近所にある公園は、ボランティアグループの方が毎日のように清掃や花の世話をされて、いつもきれいで住民憩いの場となっていました。
しかし高齢になり活動が難しくなったため、今後は地域の活動としてやってもらえないか、と地域の役員へ相談があったとのこと。

 そこで地域としてどうするか、役員会で話し合うことに…。その中では、役員で分担して水やりする、住民へ協力を呼び掛ける、花を育てるのをやめる、といった案が出されました。

 その場の結論は、今咲いている花が枯れるのを待ってその後は植えない、でした。どの家庭も忙しい中お願いできない、負担を感じて区を抜けたいという人も出かねない、などの意見が多かったのです。
効率性を考えることも必要で、やむを得ないと思う反面、寂しさも感じました。

 しかしそれから一年。公園には今もきれいな花が咲いています。やはり、長年地域を想い行動してきた人の思いを、できる範囲でも繋いでいきたい、と続けることになったのです。花を見るたび、温かい人が身近にたくさんいる、と嬉しさや心強さを感じます。   (喜)

「介護講座 2024」

「認知症の家族への対応に頭を悩ます」「介護で足腰を痛めてしまった」「自分の時間がなかなかとれない」など介護している家族の悩み・・。
そんな家族の悩みや気持ちを話し合い聴き合っているのが介護家族の会コスモスです。
本講座では介護の学習のみならず、家族自身がホッとできる場でありたいと考えています。
ぜひお気軽にご参加ください。

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「みんな支え合って暮らしている」

 高校生でヤングケアラーとなり不登校を経験した方の本を読みました。

 自死寸前まで追い込まれたこと、相談していいのか葛藤したこと、信頼できる先生に打ち明けたことが好転のきっかけとなったことなどが書かれていました。

 その本の中にこんな言葉も。

 「食べることも、生活することも、みんな誰かに助けられている。そう考えると助けてもらうことのハードルが低くなりませんか」と。

 数年前に、お金を払っているんだから「いただきます」は、言わなくていいという考えが話題になったことがありました。

 「いただきます」には、食材を作ったり、運んだり、時間という命をかけてくれた方への感謝の気持ちも込められています。

 忘れてしまいがちですが、みんな支え合って暮らしているのです。

 誰かに頼ったり、助けてもらうことが難しいときがあります。しかし、誰もが支え合って暮らしていると思うと、助けてもらうことは特別なことではないなと感じました。(実)