福岡県筑後市の社会福祉法人 筑後市社会福祉協議会

親子でボランティア体験 街頭募金を行ないました!

《10月1日より、赤い羽根共同募金運動が始まりました。募金は、社協窓口へご持参、振込、ネット募金など、さまざま方法で受付しております。今年度も、ご協力よろしくお願いいたします》

 10月1日には、「親子でボランティア体験」と題して、イベントを行ないました。
赤い羽根共同募金の必要性や歴史、市内での使われ方などを学習。その後、実際にゆめマート筑後店様、よらん野様で街頭募金を行ないました。
多くの方が、協力してくださり、募金が集まりました。
 参加した子どもたちからは、「募金をしてもらえて嬉しかった」「今度から募金活動をしている人がいたら、募金をしたい」「来年も赤い羽根共同募金の街頭募金をしたい」といった感想も聞かれました。
 参加者の皆様、ご寄付いただいた皆様、ありがとうございました。

「条件なしに全肯定してくれる人や場の存在」

 たまたま観ていたテレビで、シマフクロウの保護活動を行う夫婦が紹介されていました。

 この夫婦は次のように話しました。

「シマフクロウだけを保護するのではない。人と生き物の調和を考えながら、環境全体を良くしていくことが必要。その結果として、シマフクロウも保護されていくのです」

そんな話が、様々に示唆に富んでいるように思えて。

数か月前、ヤングケアラー支援の強化のために、市区町村の相談体制を拡充しましょう、というニュースがありました。

 確かに大事です。しかし、前述の夫婦の言い方を借りれば、次のような感じでは。

「ヤングケアラーだけを支援するのではない。子ども全体のことを考えながら、子どもが豊かに育まれるような地域であることが必要。その結果としてヤングケアラーの支援になっていくのです」

 ヤングケアラーや子どもの貧困等、多くの子どもが生きづらさを感じているのだとすれば、条件なしに全肯定してくれる人や場の存在が必要なのかもしれません。         (善)

「災害ボランティアセンターでの出来事」

 久留米市災害ボランティアセンターの手伝いに行った時の出来事です。

 全国からボランティアが集まり、最も被災が大きかった地区で泥かきや片付けなどの活動をされました。猛暑の中での活動はかなり大変だったはずですが、活動を終えて戻って来る方たちの表情は、出発前よりも生き生きとしているように見えました。 

 活動した方と話してみると、「活動中はきつかったけど、終わった時に被災者の方から『助かりました』とすごく感謝された。日常でこんなに感謝されることはない。その言葉、表情を見ると、何とも言えない達成感がある。また、一緒に活動したチームの連帯感も気持ちよかった」と話されました。

 一方、最近の被災地の課題として、「ボランティア不足」が深刻になっています。月日の経過と共に関心が薄らぎ、ボランティアが減少して必要な方へ迅速に支援できないのです。

 豪雨災害が起こった7月10日から2か月が経とうとしています。過去の出来事ではなく、今も被災者の不安は続いている…。まずはこのことを忘れず、できる支援をしていきたい、と改めて感じています。  (喜)

「一歩踏み込んだ一言」

 7月上旬からの大雨で、実家のすぐ後ろの山が崩れ、近所の1軒の住宅が土砂に巻き込まれました。

 そのほんの1時間前の出来事です。

 「避難しない」と言い張る高齢者のお宅に近所の住人が複数人集まり、「危なかですよ」「お願いやけん、一緒に避難しましょう」と説得が続きました。

 「おぶってでも俺が連れて行くけん」向かいに住む方の、一歩踏み込んだその一言で「俺は、歩けんわけやなか」と、やっと避難することを決められたそうです。 

 「誰もケガもしなくて、命も落とさなくて良かった」「地域の人が集まって、これからの対応を話し合って心強い」避難所では、そんな声が聞かれました。 

 昔からよく知っている間柄と、一歩踏み込んだ一言があったから、命を守ることができました。そして不安な避難所での時間も、お互いに励まし合いながら過ごすことができたそうです。 

 毎年のように起きる大きな災害。 地域の繋がりが、安全に、安心して暮らす大きな力となることを改めて感じました。       (実)

「今の自分のままでいい、と思えること」

「『○○くんのお姉ちゃん』と言われ、私の名前は呼ばれない」

「療育機関に行くと、皆私を通り過ぎて、弟の方へ行く」

「私は弟の付属品なの!?」

障害のある人のきょうだいたちの声です。わずかながらですが、きょうだい支援に関わり、これまで、そんな話はたくさんお聴きしてきました。

だからでしょうか。

「弟が不登校になった時、先生に『何で弟は学校に来ないんだ?お前は家族だろう?』と言われたんですよね」という話が気になってしまって。

不登校の子が心配なのも分かるのですが、先生の目の前にいる生徒も一人の子ども。この子はどんな気持ちになっただろう‥。

考えてみると、「きょうだい支援」の存在が、知られていないから、こうした出来事が起こるのかもしれない。

現に、福祉職の人と話す中でも、「きょうだい支援って何ですか?」と尋ねられる場面が多々あります。

あるきょうだい児は「支援者ではなく理解者がほしい」と言いました。この言葉はとても重く、そして的を射ているのではないか。そう思うのは私だけでしょうか?        (善)