不登校・引きこもり家族の会【サルビアの会】を更新いたしました。
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不登校経験のある青年の話。
「障害のある兄のことをバカにされることがきっかけで不登校になった。しかし、そのことは親には言えなかった。親は兄のことで一生懸命だった。
当時の先生は、私を学校に通わせようとしてくれた、しかし、兄のことをバカにするクラスであることには変わりはなく、しばらく学校には行けなかった」
そして、「私だけではなく、障害者をバカにするクラスメイトへのアプローチが必要だと思う」と彼は言いました。
この話は、とても大事だと思います。
様々な福祉課題を抱える人が増えている時代。その人たちだけへのサポートではいけない、という示唆がそこにはあるからです。
例えば、椅子取りゲームをすると、誰かが座れません。どれだけ努力をしても、必ず座れない人が現れます。
皆が椅子に座るためには、椅子を増やす、座席を分け合う、といった工夫が必要で、それは椅子に座っている人も当事者として考えるべきことです。
ゲームと福祉課題を一緒に考えるべきではないかもしれません。しかし、自己責任という考え方だけではいけないのだと、私は思うのです。 (善)
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相模原の障害者施設で 名の命が理不尽に奪われた事件から5ヶ月が経過しようとしています。遺族は「この国では、全ての命が存在するだけで価値があるということが当たり前ではない」と語られています。
「存在するだけで価値がある」とはどういうことでしょうか。今回の事件の犠牲者の多くは重複障害があったといいます。自力では動くことも、中には喋ることもできない方もおられたのかもしれません。
「この方と出会えたからたくさんのことを学べたし、多くの人と出会うことができるんです」
重度障害のある方を長年ヘルパーとして支えられてきた方の言葉です。このように、関わり、ともに生きることで喜びを感じたり、勇気づけられた人がいる。それこそが「存在するだけで価値がある」ということだったのではないかと私は思います。
命の価値があまりにも軽視された今回の事件。私たちは誰しも存在するだけで価値のある命を持っている。基本的なことですが、それを再確認することの重要性を感じます。(拓)
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陸軍の船舶隊に属していた祖父は、1945年8月9日に長崎市で被爆しました。22歳の時でした。
出島付近で被爆し、自身は防空壕へ逃げたが、真っ黒になり、なすすべもなく亡くなられた人たちが哀れだった――。祖父はそんな手記を、長崎の追悼平和祈念館に残していました。
祖父は、被爆したことを20年ほど前まで家族にも話していませんでした。被爆者やその家族への差別や偏見を恐れてのことだったようです。また、思い出したくない出来事だったのかもしれません。
しかし、被爆したことを明かしてからは、自分の経験を次の世代につなげたいと、地元の小学校等で被爆体験を話す活動をしていました。
2005年には、8月9日の式典に、長崎市へ一緒に行きました。その時に、手記の存在を私に教えてくれました。
そんな祖父の存在が、私の「人を大事にしたい」「傷つけたくない」「社会福祉の分野で働きたい」という思いに、いつの間にか影響したのかもしれません。
そんな祖父が他界して2か月。
今の子どもたちが大人になった時、私たちの今の行動がどのような過去として存在しているのだろうか…。そんなことを思った祖父の死でした。 (善)
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