支えられるための学習

小学3年生の子どもたちに、「認知症」の授業をする機会をいただきました。子どもたちに、どう伝えようか考える中で、そこに難しさを感じました。

「認知症の人を理解しよう」という一面的な授業で良いのか、と。

認知症の方を対象者化し、単に「理解しましょう」「支えてあげましょう」という授業では、「認知症の人=社会的弱者(かわいそうな人/自分とは違う人)」という認識をつくり上げてしまうのでは、と思ったのです。

同時に、「子どもの貧困」が広がっている中で、苦しい状況の子どもたちが目の前にいるかもしれない。そんな中で「誰かを支えましょう」「理解しましょう」とだけ言うのは、酷なのでは…とも。

つまり、そこにいる子どもたちは、すでに何かの当事者かもしれない。また、いつかは誰もが何かの当事者になる。これは前提です。

そう考えると、「どうやったら助けてもらえるか」「どうしたら『困った』と言えるか」という、〝支えられるための学習〟も進めるべきでは…と思うに至りました。支えられることも含めて、「支え合い」なのですから。 (善)

点訳グループむつみ会の活動

「病院のパンフレットをすぐに点訳してもらえるので助かる」

「電化製品の説明書も点訳してもらえたのでスムーズに使用できた」

先日、点訳グループむつみ会が新聞社の取材を受けました。記者の方とのやり取りの中で、視覚障害当事者の方が語られました。

現在は、一般の書籍などの点字版や音訳データなどは日本全国で取り寄せられる便利なサービスがあります。しかし、病院の資料や取扱説明書のように生活に密着した情報を手に入れるためには、地域に根ざした点訳活動が必要です。

現在、医療の発達などの影響で生まれつき視覚障害がある人は減少しています。そのため、点字が読める人の数も減りつつあり「活動依頼も減少してきた」とむつみ会会員。グループとして新たな活動の方向性も模索中です。しかし、活動の原点は視覚障害者の生活を守ること。会員は続けてこう語りました。

「多い少ないではなく、一人でも必要としている人がいる限り、むつみ会の活動は続きます」 (拓)