福岡県筑後市の社会福祉法人 筑後市社会福祉協議会

生活の質

「以前はよく施設の仲間と車イスで外出しました。ただ外に出たかったのではなく、痛みや寂しさを紛らわせたかったのかもしれません」
「ゆずり葉」の活動に同行し、ある施設を訪れた際、入所者のお二人からお話をうかがいました。
線路に車イスのタイヤがはまり危なかったこと。仲間と居酒屋でお酒を酌み交わしたこと。語られるエピソードは数十年前のことですが、どれも鮮明で「無茶もしたけど良い思い出」と笑顔で振り返られました。
そんなお二人ですが、高齢になったこともあり、外に出る機会も減ってしまったとのこと。しかし、先日ゆずり葉の協力もあり、九州芸文館まで出かけることができたと嬉しそうに語られました。
そんな外出の積み重ねが、出会いや経験、知識となり、私たちの生活の質を高めているのではないでしょうか。
しかし、障害者の外出にはハードル(障害)が多いことも確かです。まずは「外出したい」という思いの裏側にあるものに耳を傾けることが大切なのかもしれません。

(拓)

みんな支える側になる支えられ方

どちらかというと「他人の世話になりたくない」と考える人は多いのでは…。
先日、ある1人暮らし高齢者から「草取りが大変」という話を聞きました。そこで、「若者支援をしませんか?」と話を持ちかけてみました。
どういうことかというと・・。
ひきこもりがちだったり、求職活動中の青年数名と一緒に、高齢者宅で草取りをしました。
そして作業後。高齢者から青年たちに、お礼として工賃が渡されました。
高齢者は、仕事の提供を通し青年たちを支援しました。また、草取りをしてもらい助かりました。
青年たちは、草取りを通し高齢者を支援しました。また喜ばれる経験、達成感、そして収入も得ました。
さらに、当日は地元の民生委員や近所の方も来られ、和気あいあいとした時間となりました。
実は、こうした「高齢者支援」と「若者支援」をリンクさせた取り組みを、地域包括支援センター等と検討中で、その一環の活動でした。
他人の世話になるのが苦手なら、みんなで支える側になってしまおう、という考え方。そんな支えられ方も良いのかなと思います。      (善)

表面化しない貧困

口腔崩壊。未治療の虫歯が10本以上ある状態のことを言います。

兵庫県保健医協会の調査では、県内の35%の小中高校にこの口腔崩壊状態の子どもがいることが判明したそうです。一方で、全体的に見ると虫歯のある子どもの数は減少しているというデータも・・・。

一目では分かりづらい現代の貧困を象徴しているようです。

「表面化しない貧困。ただ、どこかにサインがあるはず・・・」
今回紹介したこどもカフェのスタッフの方もこのように語りました。
言葉には出さずとも、外見や表情、話し方などに現れる貧困。冒頭の口腔崩壊もそのサインの一つなのではないでしょうか。
「いつもと違う様子」はいつも近くにいるから分かること。見えにくいからこそ「違い」を感じられる人の存在が必要なのかもしれません。
現在、こどもカフェでは、夏休みに行うの学習支援のボランティアを募集中。この夏の新たな出会いが「困った」状態にいる子どもを支える第一歩になるのかもしれません。              (拓)

筑後市にも言友会を

「『おおお…おはよう』『えっと、えっと』等、最初の一語が出てこなかったり、同じ語を繰り返したり、意図と違う声が出る。気持ちが焦りしんどい」

「分かっているのに、言葉が出ないので『分からない』と言ったことも。自分が嫌になる」

「『もう1回言ってください』がきつい。特に電話ではしんどい」

これらは吃音のある男性の話です。

そういうことが積み重なり、人間関係等の問題に発展することも。また学校や仕事、就職活動等でも苦しい思いをしている吃音者も多いようです。

人口の約1%の人に吃音があるとも言われています。そんな吃音者自身による自助団体が「言友会」です。

冒頭の男性は、初めて言友会に参加した時のことを「苦しいのは自分だけじゃないと感じ、楽になった。また、色々な人の考えや情報を得ることができた。自分の話を聴いてもらえ、良い経験になった」と話されました。

県内には福岡市と北九州市に言友会がありますが、そんな話を聞きながら、筑後市にも言友会があるといいなと思いました。

吃音の人たち同士で話したい。そんな方、おられませんか?ご連絡をお待ちしています。        (善)

次の困っている人へ

先日、社協の窓口に両手いっぱいの食品を持った男性が訪れました。

実は数ヶ月前も同じように窓口に訪れたこの男性。そのときは就職活動が思うように進まず、困窮に陥り、食べるものも無い状態でした。
まずは食の確保を、とフードバンクの食品をお渡ししました。

「あの後、無事に就職が決まり、何とか生活も安定しています」と話す男性。仕事の途中に立ち寄ったのか、スーツを着た男性は、どこかさっぱりとした印象でした。

社協がフードバンク事業を始めて3年。「火を使わなくても食べられる食品を」「少しでも栄養のあるものを」とたくさんの方に食品を持ち寄っていただいています。

冒頭の男性は、食品そのものだけでなく、このように、困っている状況に思いを馳せる気持ちに支えられたのではないでしょうか。
「本当に助かりました。また困っている人のために役立ててください」

こう言って食材を差し出した男性。思いを馳せたバトン(食品)は、次の困っている人へとつながれました。(拓)

若者を支えれていない社会の側に

ひきこもりが悪くはないが、ひきこもりから出たいと思う時、私たちに何かお手伝いできることはないか――。
そんな思いで、昨年4月にオープンした「ふらっとスペース」ですが、利用しているメンバーの状況も少しずつ変化しています。

ひきこもっていたが、数度の利用後、アルバイトに就いたAさん(30歳代)。

ふらっとスペースの利用を始めて数か月後、他県のNPOで就労体験に参加したBさん(20歳代)。

当初は 数分の見学のみだったが、今では週2回来所。内職の納期を気にすることもあるCさん(20歳代)。

定期的に内職をすることで仕事への心の準備ができ、週2日の就労が実現したDさん(40歳代)、などなど。

本号「居場所の力」でもあるように、ありのままを認められる場所、必要とされる場所は、とても大切です。

しかし、ひきこもり者や若者を支える仕組みや居場所は多くなく、「それは自己責任では?」という空気も。そんな社会にあって、ヘルプを出そうにも出せない人が多いのでは…。
ひきこもる本人というよりも、若者を支えれていない社会の側に問題があるのでは…と思えてしまうのです。     (善)

Sさんの姿

昨年末、市内で長年自立生活を続けてきたSさんが亡くなりました。
Sさんは重度の身体障害と言語障害がありましたが、一人暮らしを続け、屋根付きの電動車イスと文字盤を駆使して、日々街へ繰り出しました。

そんなSさんとの出会いは、私にとって衝撃的でした。率直に「こんな重度障害がある人が一人暮らしをするなんて無茶だ」と思いました。

しかし、Sさんは近所の人、行きつけの店、ヘルパー、飲み友達・・・様々な人の手を借りながら確かに筑後の街で生活していました。私にも文字盤を使いながら伝わるまで「よかよか」と根気強くコミュニケーションをとってくれました。そんな姿を見ているうちに、私の中にあった「無茶だ」という思いも消えていきました。

自分の住みたい街で暮らす。気心の知れた仲間と会話する。そして自分ができないことは誰かの手を借りる。そんな当たり前のことに障害があるか、無いかは関係ないんだよ。

緑色の車イスでガタガタと街を歩いたSさん。その姿で私に大切なことを教えてくれました。 (拓)

当事者は誰?

不登校経験のある青年の話。

「障害のある兄のことをバカにされることがきっかけで不登校になった。しかし、そのことは親には言えなかった。親は兄のことで一生懸命だった。
当時の先生は、私を学校に通わせようとしてくれた、しかし、兄のことをバカにするクラスであることには変わりはなく、しばらく学校には行けなかった」

そして、「私だけではなく、障害者をバカにするクラスメイトへのアプローチが必要だと思う」と彼は言いました。

この話は、とても大事だと思います。

様々な福祉課題を抱える人が増えている時代。その人たちだけへのサポートではいけない、という示唆がそこにはあるからです。

例えば、椅子取りゲームをすると、誰かが座れません。どれだけ努力をしても、必ず座れない人が現れます。

皆が椅子に座るためには、椅子を増やす、座席を分け合う、といった工夫が必要で、それは椅子に座っている人も当事者として考えるべきことです。

ゲームと福祉課題を一緒に考えるべきではないかもしれません。しかし、自己責任という考え方だけではいけないのだと、私は思うのです。     (善)

価値のある命

相模原の障害者施設で 名の命が理不尽に奪われた事件から5ヶ月が経過しようとしています。遺族は「この国では、全ての命が存在するだけで価値があるということが当たり前ではない」と語られています。

「存在するだけで価値がある」とはどういうことでしょうか。今回の事件の犠牲者の多くは重複障害があったといいます。自力では動くことも、中には喋ることもできない方もおられたのかもしれません。

「この方と出会えたからたくさんのことを学べたし、多くの人と出会うことができるんです」

重度障害のある方を長年ヘルパーとして支えられてきた方の言葉です。このように、関わり、ともに生きることで喜びを感じたり、勇気づけられた人がいる。それこそが「存在するだけで価値がある」ということだったのではないかと私は思います。

命の価値があまりにも軽視された今回の事件。私たちは誰しも存在するだけで価値のある命を持っている。基本的なことですが、それを再確認することの重要性を感じます。(拓)

今の行動がどのような過去になるのだろう

陸軍の船舶隊に属していた祖父は、1945年8月9日に長崎市で被爆しました。22歳の時でした。

出島付近で被爆し、自身は防空壕へ逃げたが、真っ黒になり、なすすべもなく亡くなられた人たちが哀れだった――。祖父はそんな手記を、長崎の追悼平和祈念館に残していました。

祖父は、被爆したことを20年ほど前まで家族にも話していませんでした。被爆者やその家族への差別や偏見を恐れてのことだったようです。また、思い出したくない出来事だったのかもしれません。

しかし、被爆したことを明かしてからは、自分の経験を次の世代につなげたいと、地元の小学校等で被爆体験を話す活動をしていました。

2005年には、8月9日の式典に、長崎市へ一緒に行きました。その時に、手記の存在を私に教えてくれました。

そんな祖父の存在が、私の「人を大事にしたい」「傷つけたくない」「社会福祉の分野で働きたい」という思いに、いつの間にか影響したのかもしれません。

そんな祖父が他界して2か月。

今の子どもたちが大人になった時、私たちの今の行動がどのような過去として存在しているのだろうか…。そんなことを思った祖父の死でした。  (善)