福岡県筑後市の社会福祉法人 筑後市社会福祉協議会

「もし加害者の青年に会ったら、あなたは何と言いますか?」

本紙で紹介した奥田知志氏の講演では、「相模原事件」も話題に。

加害者の青年は、「役に立たない障害者に多額の税金を使うのは皆の迷惑だ」「障害者は不幸しかつくれない」と、受け入れがたい主張をしました。

 そんな青年に、奥田氏は4年前に面会したと話されました。

 「君はあの事件の直前、役に立つ人間だったか?」と尋ねたところ、一瞬考えこみ「僕はあまり役に立ちませんでした」と答えたそうで、「この事件の真相は、この辺りにあると思った」と言われました。

 つまり、「役に立つ」「立たない」で線引きされている世の中であり、役に立たない者は必要ないという、いわばうば捨て山社会になっていないか、と。

 であれば、「19人をも殺めたあなたに生きる資格はない」と言ってしまうと、青年の受け入れがたい主張と同義になってしまう。

 「何のために生きるか、ではなく、生きること自体に意味があるという捉えなおしが必要」と氏。そして次の言葉で講演は終わりました。

 「もし加害者の青年に会ったら、あなたは何と言いますか?」   (善)

「おせっかい」

 ご近所に、毎日一万歩を歩く高齢で一人暮らしの女性がおられます。その方は歩きながら道や公園のごみを拾ったり草とりしたり、近所の人と会話したり…。ゴミ収集日には必ず収集所に立って、係でもないのに分別の手伝いや片付けもされます。

 近所の家の様子もよく見られていて、最近見かけない人がいれば隣の人に尋ね、庭の手入れに困っている人がいれば枝木を切ったり草取りを手伝ったり姿も見かけます。

 近所付き合いを面倒に思う人も増え、「おせっかい」、ひょっとしたら「監視」と感じる人もいるかもしれません。実際、引っ越して初めてこの方と会った時は圧倒されました。しかし、今はこの方とのおしゃべりが大好きです。地域の最新情報も昔のことも、色んなことを教えてくださいます。

 そして公園、道路、ごみ収集所も、いつもきれいなのはこの方のおかげです。わが家の子どもたちにもいつも声を掛け見守っていただき、近所をパトロールしてくれていると思うと家を空けている時の安心感もあります。

 今や減った「おせっかい」のありがたさを感じますし、それが今も受け入れられている地域っていいなあ、

と私は気に入っています。   (喜)

「その「誰か」になれるように。」

 ユースサポートの取材をしながら小学生の頃を思い出していました。私も担任の先生や同級生との関係、クラスの雰囲気などで学校に行けない時期がありました。

 学校と家だけで、どこにも逃げ場がない中、子どもなりにたくさん考えて自分の気持ちを整理していたと思います。

 母は「無理して行かなくていいよ」と、行きたくない理由をゆっくり聞いてくれて家と学校以外の居場所を作ってくれました。そして頑張れる場所ができたこと、クラスの雰囲気が変わったことも重なり学校に行けるようになりました。

 しかし学校に行けるようになることがゴールではなく、行けるから大丈夫というわけでもありません。理由を話さないのではなく、話せないのかもしれません。本当は「誰か」に分かってもらいたいと思っているかもしれないのです。

 子どもたちが「どうせ分かってくれない」と諦めることがないよう、その「誰か」になるために、私たちにできることは何か考えていかないといけないのではと改めて感じました。           (実)    

「症状ゆえの苦労以外の、“知られまいとする苦労”」

 今回行なった精神障害のある女性へのインタビュー。話を伺って印象的だったのは、周りの方へたくさんの感謝の気持ちを持っておられる、ということ。とても素敵だな、と改めて彼女の魅力を感じました。

 数日後、記事にまとめて彼女に確認して頂きました。その時一番に気にされたのは、「私だと特定されないか」ということ。取材時も言われたのですが、「私が独身ならどれだけ知られても構わない。でも、子どもが変な目で見られたら怖いから」と。

 誰でもなる障害で、本人が責められるものでも、怖いものでもないことは明らかです。それなのに、なぜ彼女は隠さないといけないのでしょうか…。

 障害はマイナスな面ばかりではないものの、彼女の場合は今でも、眠れなかったり極度に疲れやすかったりと、様々な苦労もされています。しかし、その症状ゆえの苦労以外に、障害を周りに知られまい、という苦労をしないといけない…、これが一番の問題だと感じました。

 同時にそれは、正しい理解や声掛けなど、地域の一員である私たちの意識や行動で解決していけるのでは、と思っています。       (喜)

「私は付属品じゃない!」

 「私は付属品じゃない!」という声が心に刺さりました。妹に知的障害がある 歳代の女性の話です。

 「子どもの頃、妹の療育に母は私も連れて行っていた。療育施設に着くと母と妹は別室に行く。母と保育士たちと楽しそうにしている妹の姿が窓から見えた。私は一人ぼっちだった。たまに通りがかる職員は、私のことを『○○ちゃんのお姉ちゃん』と呼ぶ。私も一人の子どもだよ!私は付属品じゃないよ!そう思っていた」

 そんな彼女は「親は妹の世話で大変。だから親に甘えた経験がない」「誰を頼って良いか分からず、誰にも助けを求められなかった」とも。

 こうした話はこの女性特有のものではなく、きょうだい支援に関わる中では、よく話題になることです。

 ひょっとしたらヤングケアラーにも同じようなエピソードがあるかもしれない。だとしたら、私たちがすべきは、一人ひとりの子どもを大切にすることと、「助けて」と気軽に表現できる環境をつくることではないか。

 「私は付属品じゃない!」と心の中で叫ぶ子どもを減らしていくのは、大人の役割ですよね。      (善)

「自分を許す」

「『大変』なままで終わらせないで欲しい」

 点訳グループむつみ会で、小学校の福祉教育でもお話してくださる視覚障害の方のお宅に伺った際に言われた言葉です。

「最近、自分のことを書いてみてるの。聞いてくれる?」といつもの明るい調子で言われ、点字で書かれたものを読み上げて下さいました。

 子どもの頃、徐々に目が見えなくなっていくときの気持ちや手術・入院中の様子、両親とのやりとりなどその光景が目に浮かぶような言葉についつい自分の過去も重ねて涙を流してしまいました。

 冒頭の言葉は、『大変』さを受け入れ、自分のことも周囲のことも許し、前向きに生きる方の言葉ではないかなと思います。

 人それぞれ『大変』なことは違います。『大変』さを誰かに分かってもらうことも大切ですが、自身が理解し受け入れ、許すことができれば、楽に、前向きになれるのだろうと改めて感じました。

 そんな、心が温かくなる素敵な時間でした。        (実)

「あなたのように年齢を重ねたい」

とある地域デイサービスのボランティアの方のお話です。

「昨年大きな病気をしました。死も覚悟しました。明日手術という日。お別れを言おうと思い、地域デイサービスの会長さんに電話をしました」

会長さんと地域デイサービスで楽しかったことや色々な思い出話をしました。すると、不思議と手術が怖くなくなった。死が怖くなくなったのです」

「手術は成功し、今またボランティア活動をしています。ボランティアは誰かのための活動。でも、自分のためでもあると思いました」

ある校区での研修会後に、呼び止められ、そんなお話をお聴きしました。

このお話を地域デイの会長さんにこっそりお伝えしたら、「そう。手術の前日に電話があって・・。本当に良かった」と涙ぐまれていました。

本当に素敵な関係。素敵な瞬間のおすそ分けでした。こんな時、「この人たちのように年齢を重ねたい」と感じます。地域での福祉活動にはそんな出会いや瞬間がたくさんあります。

そして、「あなたのように年齢を重ねたい」と思われるような生き方をしていきたい、と思うのです。  (善)

「第3の場所」

貧しくて、空き巣をしながら生活していた子どもを見つけた女性。

放っておけず、自身が園長をつとめる保育園の自室に招いたのが、戦後の学童保育の始まりだった―。先日学童保育の研修で聞いたお話です。

 目の前の子どもの辛さや困難に寄り添い、どうにかしなければ、との思いが土台となって、その後学童保育は全国に広まっていきました。

 一方で、物は豊かになったものの、コロナ禍で育つ今の子どもたちは多くの制約の中で生活しています。そのため、色々な経験ができない、育ちに必要とされる社会とのつながりを持ちにくい、という問題を抱えています。

 そして、学校生活や家庭環境で何らかの悩みや困難を抱えている子どもたちも増えています。しかも昔のように外見では分からないため、周囲から気づかれずに、孤立を深めている子もいるかもしれません。

 初めて学童保育を始めた女性のような存在が、この時代にも必要かもしれません。子どもの問題を放っておかず、家でも学校でもない第3の場所に居場所を持てるようにと、子どもを支えていくことが、今こそ大切ではないでしょうか。 (喜)

「相手の気持ちを想像すること」

 敬老の日は過ぎていましたが、緊急事態宣言が明け、県内に住む祖母に会いに行きました。祖母は私にとっては書道の先生でもあり、厳しい一面もありました。

 そんな祖母も90歳を超え、認知症が進み10分前のことも忘れてしまいます。ダメージジーンズを履いていた私に「あんた、そげん穴の開いたズボンば履いてから!恥ずかしか。ふさいじゃろうごた」と言い、私と同居する家族も笑いながら「いいと。こういうズボンとよ」のやり取りを何度も繰り返しました。

 少々大変でしたが、数か月前に、一時入院していたとは思えない祖母の元気の良さに嬉しい気持ちでした。

 こうして祖母が明るく暮らしているのは、認知症がよく知られるようになり、同居する家族にも理解があるからです。

 周りの理解があれば、生きづらさを感じずに暮らせる方が多くいます。見えているところだけで判断せずに、相手のことを理解しようとする気持ちと、相手の気持ちを想像できることが大切なのでは…と改めて感じました。  (実)

「コロナ禍就職世代」

 大学生だった頃の思い出と言えば、大学での勉強やゼミ生同士での議論。友人と飲み明かしたり、サークル活動にアルバイト。様々なボランティア活動や音楽活動等々。そうした中で、様々な人間関係を経験するとともに、社会体験も積み、社会に出る準備をしていたのだろうと思い出されます。

 そんな青春時代を送ったという人は、少なくないと思います。

 ところが、今の大学生はそのようなことができないようで・・。

 コロナ禍により大学に通うことができず、自宅でのオンライン授業。友人づくりもできない。飲み会などはNGで、サークル活動もない。アルバイトも思うようにできず、人間関係にもまれる機会も、社会体験も少ない。

 そして数年後には社会人として厳しい世界に放り出される。結果、様々な生きづらさに直面する若者が増えるのではないか…と思ったりします。

 ここ数年、「就職氷河期世代」への支援が着目されています。同様に、近い将来「コロナ禍就職世代」への支援が必要になるのかもしれない。

 ともかくは、直面するかもしれない生きづらさは、自己責任ではないことを認識しておきたいものです。  (善)