福岡県筑後市の社会福祉法人 筑後市社会福祉協議会

「お互いを想い合っていければ」

 先日、初めて福祉教育に小学校へ行きました。車イス生活を送る方の話を真剣に聞いて、沢山の質問をする児童の皆さんたちの様子をみて、私自身も小学生の時に、特別支援学校やその卒業生の共同作業所へ交流に行ったことを思い出しました。

 その当時、総合の授業で、「差別はいけません。みんな平等です。障害のある方も、自分で出来ることは自分でします。困っていたら手助けをしましょう…」と学習していました。実際に障害のある方を目の前にして緊張してどう接するのが正しいのか考えすぎて分からなくなっていたような気がします。

 20年近く経った今ようやく、仕事でいろいろな方と接する中で、特別何かを「しないといけない、してはいけない」と考える必要はないのだと感じるようになりました。お互いを想い合って関わっていければいいな…と。

 今回の福祉教育が、これから沢山の経験をしていく児童の皆さんにとって、何か感じるきっかけとなれば…という想いでこれからも続けていきたいです。(実)

「善意だと分かるから苦しい」

 「兄も不登校だった。学校へ行くと、先生たちは『お兄ちゃんは家でどんな感じ?』と私に尋ねてくる。私の話や気持ちは聞いてくれないんだな、と思った。先生に対し不信感を持った」

 不登校経験のある方の話です。とあるイベントで、ご自身の経験談をお話された時のものです。

その話を聞きながら、ある女性のお話を思い出していました。この女性には、障害のある弟がいます。

 「自閉症の弟がパニックになったとき、先生はその対応方法について、私に聞いてきた。何で私に聞いてくるのか、先生の役割ではないかと思った。周りの目を感じながら、私が弟の対応をした。そして、周りの目を嫌だと感じてしまう自分に対しても、自己嫌悪があった」

 こうして経験談として聞くと、「その通りだ」「きょうだい児への配慮が必要だ」と思います。しかし、その一方で無意識的に同じようなことをしてきていないか、とも考えさせれられました。

 決して悪意があるわけではなく、むしろ善意としての言葉かけだったりします。しかし、善意だと分かってしまうから、きょうだい自身も苦しいのかもしれません。         (善)

「心までウイルスに汚染されないように」

 8月はお盆や夏休みで先祖のお墓参りや里帰りで、親戚や家族が集まる時期ですが、今年の夏は、新型コロナウイルスにより、夏休みも短縮、県をまたぐ里帰りも自粛するように世間で言われていました。小学校の夏休みも思い出をつくる間もなくアッという間に過ぎていきました。

 先日、東京でのPCR検査で陰性だった方が、墓参りのために県外へ帰郷した際、近所の方から「帰ってください」と記された手紙が自宅に貼られてあった件が報道されていました。先祖に手を合わせることすら許されない現状…コロナによって人の心も嫌な感染症に汚染されているように感じています。

 県外の車を傷つけたりする事件やコロナ感染者へ向けてのコロナ差別なども耳にするようになりました。

 自分が感染してしまったら…周りの人達にどうみられてしまうのか?感染予防や人との距離も大切ですが、コロナウイルスによって今まで繋がっていた人との繋がりが薄れているような気がします。感染症によって、心まで嫌なウイルスに汚染されないよう心掛けたいものです。    (宏) 

「助けてもらう姿を子どもたちにみせてほしい」

 ある短期大学で「社会人としての自立とは?」をテーマに、お話させていただく機会をいただきました。
 20歳くらいの学生たちに「自立とは何だと思いますか?」と尋ねたところ、「誰にも頼らずに1人で生活できること」といった回答が多数。
そこで、「それも大事だけど、それって、自立じゃなくて『孤立』にならん?」と尋ねると、学生たちは考え込んでいました。
 その後、「誰かの助けを受け入れながら生きていくのが自然な姿なのだから、『助けて』と周りに言えることが自立だし、支え合いが育まれる社会が自立しやすい社会なんだよ」と、お話しました。
 そして、「助けてもらう姿を子どもたちに見せてほしい」とお願いも。大人たちは意外と子どもたちに「弱さ」を見せていない。一方で、子どもたちは「困っている人を助けよう」という支える側の姿しか見ていない。
 自身の弱さを認め、誰かの支えを受けいれる姿を見せることが、ひいては子どもたちを「自立できる人間」に育てていくことなのかもしれません。
 各地で災害も多発しています。周りの助けを受け入れることが、生きていく上でとても大事だと思っています。(善)

「Hさんが教えてくれた大切なコト」

 福祉活動に永らく関わってこられたボランティア連絡協議会(以下ボラ連)の会員さんの突然の訃報が届きました。
 この方、点訳グループむつみ会の開設当初から会に携わっていただき、点訳ボランティアの推進やボラ連の活動にも大いに貢献された方でした。
 点訳ボランティアでは視覚障害者と共に歩んで来られ、ボランティアする側・される側の隔たり無く自然体で接する姿は、これからのボランティア活動に活かし続けなければならない在り方と感じています。
 優しいお人柄と、物腰の柔らかい語り口は優しさであふれており、相手の気持ちに寄り添う謙虚な姿勢や、自分らしく真摯に歩まれた形跡は、亡くなられた後も大切に引き継いでいきたいと思っています。
 ボランティアとは決して強制的なものではなく、相手に寄り添う形で自然に生き続けていくものと教えてくれた方でした。無理のないボランティアの「カタチ」を私も見出して行ければと思っています。 
 心よりご冥福を申し上げます(宏)

「手洗い」「手紙」「手助け」の「三手」

「3密」(密接・密集・密閉)を防ぐことで、コロナウイルスの感染者は減少に転じました。

 一方で、高齢者にとっては、外出する機会が減り、筋力低下や認知機能の低下のリスクが高まっています。また、子育て世帯にとっては、子育てサロンの中止、学校の休業等による育児ストレスや、それに伴う虐待等のリスクが高まっています。

 さらに、コロナウイルスの影響で、収入が激減し、日々の生活に困っている方も多くおられます。

 そこで、「3密」を防ぎながらでも、できることとして、「3手」というものを考えてみました。

 「手洗い」。今後も継続しましょう。

 「手紙」。メールやSNS等での交流も良いですが、高齢で携帯電話が苦手という方もおられますし、何より手書きの文字に人のぬくもりがある。友人や知人と、つながり続けましょう。

 「手助け」。感染しない・感染させない、ということに留意しつつも、困っている人がおられないか、アンテナだけは張っておきたい。そして、自身が苦しい状況に直面したら、遠慮せずに「手助けしてほしい」と電話やメール、手紙等でもよいので声をあげてほしいと思うのです。

(善)

「自分の行動が問われている」

「祖母とコンビニに行ったら、知らないおじさんに『なんでマスクをしないんだ!』と怒鳴られ、祖母も『なぜマスクをさせないんだ!』と怒られた。家に帰って母親に話したら『そのおじさんは、心配してくれたのかもね』と。でも、そのおじさんもマスクをしていなかった。おとなってかってだね」
ある日の朝刊に7歳の女の子のこんな内容の投書が掲載されており、ドキッとしてしまいました。
仮に子どものための言葉だとしても、行動が伴っていないと、子どもは「勝手だな」と受け取ってしまうわけで…。
多くの人が「他人を思いやる優しい子に育ってほしい」と願っていると思うのですが、我先にマスクや紙類を買い占める大人の姿を、その場に居合わせた子どもたちはどのようなまなざしで見ていただろう。
「困っている人には声をかけよう」「差別をしてはいけない」「相手を気遣おう」。そういう言葉を我が子に言う私自身の日頃の行動が、何よりも問われているのだろうと思います。
今更ながら、「子どもは言ったようにはならない、身近にいる大人がしているようになる」という言葉を思い出しています。

(善)

「こんな時こそ思い合う行動を」

今、世界的に猛威を振るっているコロナウイルス。見えない敵を相手に日々の生活に怯える毎日です。出会いと別れのこの時期に学校が休校になったり、色々なイベントが自粛をされたり中止になったりと、どこにもぶつけようのない思いの方も多いのでは?と思います。

 そんな中、先日は中国からの輸出が滞り紙資源が無くなると言われ、お店からトイレットペーパーの在庫がなくなる騒動も起きていました。またお店でもマスクが不足し、ネット販売などで高額で転売されたり、マスクや消毒液が本当に必要なところに行き渡らない状況…。デマや不確かな情報に翻弄され、人間らしさが薄れてしまっているように感じます。  

 こんな時こそ、思い合う行動ができる、自分でいたいなぁと感じています。今から徐々に様々なところでコロナウイルスの影響が波及し、経済的に困窮する方も増えそうです…。私達の周りでも苦労を強いられる方々が増えるかもしれません。早く、見えない敵が終息することを願うばかりです。

(宏)

「ある日の出来事」

研修のため市外へ出た時の話。

研修会場近くの4車線の大きな交差点を、半身麻痺の方が一人で渡っておられました。その途中で信号が赤に変わってしまい焦ったようで、歩調が速くなっていました。「大丈夫かな…」と思った瞬間、その方が交差点の途中で派手に転倒!倒れて動けない!

すぐに駆け寄って安全な場所へ移動させようとしても、重くて動かず、本人も動けない。近くにいた人に「手伝って!」と叫んだら、若いカップルが来てくれて一緒に運び、同じく駆け寄ってくれた女性が介抱してくれました。

頭部からの出血がひどかったこともあり、救急車を呼ぶことに。幸い本人に意識はあり「家に父がいる」と言われるので、連絡先を聞いて電話をしました。じきに救急車も父親も到着し、無事に一緒に病院へ向かわれました。

ちなみに、カップルは福祉系の大学生で、女性は看護師ということが後から分かりました。まさに不幸中の幸い。

それにしても、ご本人は60歳代、その父親の年齢は80歳代に見えました。「親が子を介護する老々介護」というケースも増えていくのだろうか。救急車を見送りながら、そんなことを思っていました。         (善)

「介護する側からされる側へ変わる時」

介護家族の会「コスモス」の忘年会で、「そうなったら、一緒に同じ施設に入ろう」と、話が盛り上がりました。
この方、夫婦2人で生活をされており、どちらかに介護や医療が必要となった時、食事や家事の面でお互いのことが心配の様子。幸いなことに近所の高齢者施設と親交があり、自炊が出来なくなったら食事だけでも食べにおいでと言われているとのこと。
「必要に迫られたらホームで食事して時々家に戻るようにしようかな…」と。

その場にいた同じ会員さんも伴侶を亡くされ一人暮らし。「気の合う仲間同士で同じホームに入って余生を暮らすのもいいかも…」「将来的に孫や子ども家族にお世話になりたくないし…」等々。

元気なうちに自分が望む介護の在り方・生活スタイルを家族や身近な人たちに伝えておくことも大切なのではと感じた瞬間でした。
また、家族介護の経験のある方だからこそ、自分達に介護が必要になった時のことを、身近に考えられるのではと思います。
介護する側からされる側へ変わっていく時、自分がどんな生活を望むのか考える時間も大切なのでは感じています。      (宏)