福岡県筑後市の社会福祉法人 筑後市社会福祉協議会

「安心してどもれる環境」

「みんなどもっていて安心する」
昨年、縁あって、言友会(吃音の人たちでつくる団体)の全国大会に参加させていただきました。当然会場にいる方のほとんどが吃音の方で、その程度に差はありますが、皆さんどもりながらお話をされていました。
そんな中、ある参加者の方が冒頭の言葉を言われました。みんなどもっていて安心するという言葉の背景に、様々なものを感じてしまいました。
それは、普段は安心して話せる場所がないということ。どもることを気にしながら、日々を過ごしておられるのだろう…と。
学校や友人関係などを始め、就職、恋愛等様々な場面で悩んできたという吃音の方のお話はこれまでにも聴いてきました。
しかし、これらには、全て「相手」があることで悩むものです。会話する相手との関係性の中に、悩みがあるのです。
冒頭の彼は、治したいというよりも、安心してどもれる環境を求めています。理解が広がれば、そんな環境が増えていくのだと思います。
そしてーー。吃音の方の「相手」になった時、安心してどもってもらえる人でありたい。知ってしまった以上、そう自身に問いかけています。(善)

「気持ちはみんなと一緒だよ」

「私たちには障害があるけど気持ちはみんなと一緒だよ」
今年も市内の小学4年生を対象に福祉教育を実施しています。
福祉的な技能の習得ではなく、同じ空間で一緒に過ごすことを目的として、障害当事者のゲストティーチャーが市内の小学校へ出向いています。
そこで、冒頭の言葉を聞き、私自身のことを少し思い返しました。

学校を卒業し、就職したての6年前。「障害のある人には何か手助けせねば」と、ある種の責任感を感じていました。しかし、実際に目の前に立つと、どんな風にお声かけすればいいのか分からずに立ち尽くしている自分がいました。
しかし、重度の身体障害のあるAさんも、精神障害で入院歴のあるBさんも、多くの方が笑顔で声をかけ、私のことを知ろうと話かけてくれました。気が付くと、私の中の「手助けせねば」という意識は消え、肩ひじを張らずに話ができる関係になっていました。

そして今「気持ちはみんなと一緒」という言葉を聞いて、その人を知ろうとせずに、障害にだけ目を向けていた自分に改めて気が付きました。
本当に必要なことは過剰な配慮ではなく、一緒に過ごして、その人を知ることだったのです。(拓)

「かぐや姫と選択肢のある社会」

「〝ひきこもり〟って、なあに?」と、小学1年生の娘が言いだしました。
 「えっと・・外になかなか出ることができなくて、ずっとおうちにいることだよ」と答えたところ、「へー、かぐや姫と同じだね!」と。わけを尋ねると、「かぐや姫は家の中で泣いていたんだよね。月からお迎えが来るからだって。だから、周りの人がかぐや姫を家から出さないようにしたんでしょ?」だとか。

子どもながらの感性に驚きつつ、結構深い話のような気も。

月の使者は「月に来た方が幸せよ」と言う。地上の人は「月には行くな」と言う。その他の選択肢はなく、かぐや姫がどうしたいのか、心の内は見えてこない。または、かぐや姫自身もどうしたいのか分からないのかも・・。しかし、もし他の選択肢がたくさんあれば、かぐや姫も周りの人も困ることはない。
 
これは「LGBT」や「吃音・場面緘黙」など、様々な福祉課題に通じます。様々な選択肢(生き方)があれば、本人も周りの人も困らないでいい。

では、どんな選択肢が必要か。当事者が安心して気持ちを打ち明けられる場所に、そのヒントが見つかりそうな気がします。そしてそれは、誰もが生きやすい社会づくりのヒントだとも思うのです。(善)

お詫びと訂正

10月1日に発行しました社協だより「人として」に誤りがありました。

P4 市民福祉のつどい兼合同研修会
   (誤) ところ 筑後市総合福祉センター(野町680-1)
   (正) ところ サザンクス筑後(若菜1104)

ホームページへは修正済みの社協だよりを掲載しておりますが、各世帯にお届けしている広報は誤った内容を掲載してしまいました。お詫びして訂正いたします。