「〇〇問題」を目にするたびに

先日、ある老人クラブの研修で、「年齢を重ねて良かったことは?」と質問してみました。すると、「色々なことを経験したこと」と答えられた方が多くおられました。

「経験」に裏打ちされた言葉は、時には誰かを支える力になります。同じ言葉でも、年齢を重ねた人が言うことで、説得力や深みが生まれると思うのです。

ところが、高齢化がますます進んでいる中で、「高齢者問題」「高齢化問題」等として取り上げられることが多くなっています。もちろん、社会構造上の課題はあるのですが、こうした言葉を聞くたびに、「高齢になることは問題なのだろうか」と思ったりもします。

同じように、最近では「女性問題」がニュースを賑わしていますが、これは男性の問題です。では、「障害者問題」は?「LGBT問題」は?

言葉じりを捉えるようかもしれませんが、こうした「〇〇問題」を目にするたびに、〇〇じゃない人も、その問題の当事者なのだと思うのは、私だけでしょうか・・。 (善)

“こうあるべき”から“こんな風でも良い”に

「性や恋愛について『こうあるべき』『こうしなければならない』という規範にとらわれすぎると、そこから外れた人は満たされない気持ちになる」今回の障害者問題セミナーの講師の一言です。

「(子どもなら)学校に行くべき」

「(大人なら)仕事に就くべき」

「(家族なら)介護するべき」

性や恋の話題以外にも、私たちの周りには様々な「こうするべき」「こうしなければならない」が存在しています。当たり前のことだと見逃していることも多いのかもしれません。

しかし、冒頭の言葉のように、それが出来ないとき。周囲の「こうするべき」という認識は、とても苦しいものになってしまうのかもしれません。

「こんな方法もあっていい」「しなくてもいい」そんな風に、選択肢がたくさんあったり、様々な考え方が選べる環境があることで、苦しい気持ちが少し軽くなるのではないかと思います。

「こうあるべき」を「こんな風でも良い」に。少し視点を変えてみませんか?          (拓)