「私は付属品じゃない!」

 「私は付属品じゃない!」という声が心に刺さりました。妹に知的障害がある 歳代の女性の話です。

 「子どもの頃、妹の療育に母は私も連れて行っていた。療育施設に着くと母と妹は別室に行く。母と保育士たちと楽しそうにしている妹の姿が窓から見えた。私は一人ぼっちだった。たまに通りがかる職員は、私のことを『○○ちゃんのお姉ちゃん』と呼ぶ。私も一人の子どもだよ!私は付属品じゃないよ!そう思っていた」

 そんな彼女は「親は妹の世話で大変。だから親に甘えた経験がない」「誰を頼って良いか分からず、誰にも助けを求められなかった」とも。

 こうした話はこの女性特有のものではなく、きょうだい支援に関わる中では、よく話題になることです。

 ひょっとしたらヤングケアラーにも同じようなエピソードがあるかもしれない。だとしたら、私たちがすべきは、一人ひとりの子どもを大切にすることと、「助けて」と気軽に表現できる環境をつくることではないか。

 「私は付属品じゃない!」と心の中で叫ぶ子どもを減らしていくのは、大人の役割ですよね。      (善)

「自分を許す」

「『大変』なままで終わらせないで欲しい」

 点訳グループむつみ会で、小学校の福祉教育でもお話してくださる視覚障害の方のお宅に伺った際に言われた言葉です。

「最近、自分のことを書いてみてるの。聞いてくれる?」といつもの明るい調子で言われ、点字で書かれたものを読み上げて下さいました。

 子どもの頃、徐々に目が見えなくなっていくときの気持ちや手術・入院中の様子、両親とのやりとりなどその光景が目に浮かぶような言葉についつい自分の過去も重ねて涙を流してしまいました。

 冒頭の言葉は、『大変』さを受け入れ、自分のことも周囲のことも許し、前向きに生きる方の言葉ではないかなと思います。

 人それぞれ『大変』なことは違います。『大変』さを誰かに分かってもらうことも大切ですが、自身が理解し受け入れ、許すことができれば、楽に、前向きになれるのだろうと改めて感じました。

 そんな、心が温かくなる素敵な時間でした。        (実)

「あなたのように年齢を重ねたい」

とある地域デイサービスのボランティアの方のお話です。

「昨年大きな病気をしました。死も覚悟しました。明日手術という日。お別れを言おうと思い、地域デイサービスの会長さんに電話をしました」

会長さんと地域デイサービスで楽しかったことや色々な思い出話をしました。すると、不思議と手術が怖くなくなった。死が怖くなくなったのです」

「手術は成功し、今またボランティア活動をしています。ボランティアは誰かのための活動。でも、自分のためでもあると思いました」

ある校区での研修会後に、呼び止められ、そんなお話をお聴きしました。

このお話を地域デイの会長さんにこっそりお伝えしたら、「そう。手術の前日に電話があって・・。本当に良かった」と涙ぐまれていました。

本当に素敵な関係。素敵な瞬間のおすそ分けでした。こんな時、「この人たちのように年齢を重ねたい」と感じます。地域での福祉活動にはそんな出会いや瞬間がたくさんあります。

そして、「あなたのように年齢を重ねたい」と思われるような生き方をしていきたい、と思うのです。  (善)

《年末年始の窓口業務について》

年末年始の社会福祉協議会の窓口業務についてお知らせいたします。

12月28日(火)は通常通りです。(8時30分〜17時15分)

12月29日(水)〜1月3日(月)はお休みです。

1月4日(火)は通常通りです。(8時30分〜17時15分)

「第3の場所」

貧しくて、空き巣をしながら生活していた子どもを見つけた女性。

放っておけず、自身が園長をつとめる保育園の自室に招いたのが、戦後の学童保育の始まりだった―。先日学童保育の研修で聞いたお話です。

 目の前の子どもの辛さや困難に寄り添い、どうにかしなければ、との思いが土台となって、その後学童保育は全国に広まっていきました。

 一方で、物は豊かになったものの、コロナ禍で育つ今の子どもたちは多くの制約の中で生活しています。そのため、色々な経験ができない、育ちに必要とされる社会とのつながりを持ちにくい、という問題を抱えています。

 そして、学校生活や家庭環境で何らかの悩みや困難を抱えている子どもたちも増えています。しかも昔のように外見では分からないため、周囲から気づかれずに、孤立を深めている子もいるかもしれません。

 初めて学童保育を始めた女性のような存在が、この時代にも必要かもしれません。子どもの問題を放っておかず、家でも学校でもない第3の場所に居場所を持てるようにと、子どもを支えていくことが、今こそ大切ではないでしょうか。 (喜)