福岡県筑後市の社会福祉法人 筑後市社会福祉協議会

「助け合える誰かがいる=安心感」

 新型コロナが5類へ移行して初めての年末年始。久しぶりに保育園の頃からの友人たちで集まりました。

 顔を合わせて、近況報告や、思い出話など、気づけばあっという間に6時間が経過していました。

 それぞれに、学校に行けなくなったり、大きな病気をしたりと苦しい時期もありました。それでも、お互いを気にかけあったり、励まし合いながら過ごしてきました。

 本誌で紹介した、中山智博さんのお話。これまで出会った方との思い出やエピソードに、沢山の感謝の言葉がありました。

 話を聞きながら、私自身も色んな人の顔が浮かびました。助けてもらったり、力をもらったり、自分とは違う考えと出会って刺激をもらったり。

 便利な物やサービスは増えました。それでも、それ以上に、助け合える誰かがいることは、安心感があります。 

 私も、智博さんのように人との繋がりに感謝して、過ごしていきたいと改めて思いました。   (実)

「あなたはあなたのままでいい」

うつ病を経験した女性の話です。

 「環境の変化や被災などで、心が疲れてしまったことが原因」。

 「不眠や無気力に悩まされ、涙がとまらず、死も意識した」。

 一方で、「うつ病を打ち明けた時、『あなたはあなたのままでいいよ』と仲間が言ってくれた。この『無条件の肯定』が、励ましやアドバイスよりも嬉しかった」とも話されました。

 この話は、つらい状況を打ち明けることの大切さを示唆しています。

 うつ病は、約15人に1人が経験する病気です。しかし、受診するのは25%程度と言われます。自身のつらい状況をオープンにすることが苦手な人は多いのかもしれません。

 ただ、女性はこうも言いました。

 「うつ病や心の不調を抱えている人は多いのに、オープンにできる人は少ない。つらい気持ちを話せない社会は、生きづらい社会だ」。

 このような生きづらさを感じる人は、話さないだけで多くおられるのでは…。だからこそ「無条件の肯定」が大切なのかもしれない。

 「あなたはあなたのままでいい」の言葉があふれる地域は、自分らしく生きれる地域だと思うのです。 (善)

「あなた自身を大切にしてね、を伝える福祉教育」

 小学校の授業参観での一コマです。

 「障害がある人は特別な人ではない」「大変と思っていたけどイメージが変わった」「趣味を楽しんでいて素敵だと思った」。障害のある方から話を聞き、バリアフリーやボランティアについて学んだ子どもたちの言葉です。

 そしてこれから大切にしたい3つのこととして、「気づく心」「相手のことを思い行動すること」「一人ひとりがお互いを思いやる心」とまとめた子どもたち。それぞれの感想でも多くの子が「困っている人を見たら助けたい」と口にしました。

 そんな話を聞きながら、亡くなるまで一人暮らしをされていた重度の身体障害の方の言葉を思い出していました。この方は小学校の福祉教育で子どもたちに講話をされる時、いつも最後にこう伝えられました。

 「自分を好きになってください。自分を好きになれないと、自分のこともお友達のことも大切にできません」

 困っている人のことを心配したり手助けできる優しさや行動力は伸ばしてほしい…。だけどまずは、あなた自身を大切にしてね、と伝えていくことも大事なのかもしれません。(喜)

「できるのは会いに行くこと」

「もう、生きていても良いことなんて…」

 7月の大雨で実家の近くで起きた土砂崩れ。家が崩れ、隣町で新しい生活を始めた方に会いに行った時に言われました。

 その方は、小さい頃から、本当によくしてくれて、私が大学生の頃には、「久しぶりに帰省していると聞いたから」と沢山の手料理を持ってきてくれたこともありました。

 冒頭の言葉を聞いた時、気持ちを想像すると、何か言葉をかけることも、涙をこらえることもできませんでした。

 ほんの一瞬の出来事で、生まれてから、ずっと変わらずにあった景色も、人の暮らしも大きく変わってしまいました。

 日常が戻ってきているようにも見えます。しかし、こうして複雑な気持ちを抱えながら新しい生活を始めている方もおられます。

 私にできることは、会いにいくことくらいです。住んでいる場所は変わっても、これからも、変わらない関係性でいられたらいいなと思っています。         (実)

「条件なしに全肯定してくれる人や場の存在」

 たまたま観ていたテレビで、シマフクロウの保護活動を行う夫婦が紹介されていました。

 この夫婦は次のように話しました。

「シマフクロウだけを保護するのではない。人と生き物の調和を考えながら、環境全体を良くしていくことが必要。その結果として、シマフクロウも保護されていくのです」

そんな話が、様々に示唆に富んでいるように思えて。

数か月前、ヤングケアラー支援の強化のために、市区町村の相談体制を拡充しましょう、というニュースがありました。

 確かに大事です。しかし、前述の夫婦の言い方を借りれば、次のような感じでは。

「ヤングケアラーだけを支援するのではない。子ども全体のことを考えながら、子どもが豊かに育まれるような地域であることが必要。その結果としてヤングケアラーの支援になっていくのです」

 ヤングケアラーや子どもの貧困等、多くの子どもが生きづらさを感じているのだとすれば、条件なしに全肯定してくれる人や場の存在が必要なのかもしれません。         (善)

「災害ボランティアセンターでの出来事」

 久留米市災害ボランティアセンターの手伝いに行った時の出来事です。

 全国からボランティアが集まり、最も被災が大きかった地区で泥かきや片付けなどの活動をされました。猛暑の中での活動はかなり大変だったはずですが、活動を終えて戻って来る方たちの表情は、出発前よりも生き生きとしているように見えました。 

 活動した方と話してみると、「活動中はきつかったけど、終わった時に被災者の方から『助かりました』とすごく感謝された。日常でこんなに感謝されることはない。その言葉、表情を見ると、何とも言えない達成感がある。また、一緒に活動したチームの連帯感も気持ちよかった」と話されました。

 一方、最近の被災地の課題として、「ボランティア不足」が深刻になっています。月日の経過と共に関心が薄らぎ、ボランティアが減少して必要な方へ迅速に支援できないのです。

 豪雨災害が起こった7月10日から2か月が経とうとしています。過去の出来事ではなく、今も被災者の不安は続いている…。まずはこのことを忘れず、できる支援をしていきたい、と改めて感じています。  (喜)

「一歩踏み込んだ一言」

 7月上旬からの大雨で、実家のすぐ後ろの山が崩れ、近所の1軒の住宅が土砂に巻き込まれました。

 そのほんの1時間前の出来事です。

 「避難しない」と言い張る高齢者のお宅に近所の住人が複数人集まり、「危なかですよ」「お願いやけん、一緒に避難しましょう」と説得が続きました。

 「おぶってでも俺が連れて行くけん」向かいに住む方の、一歩踏み込んだその一言で「俺は、歩けんわけやなか」と、やっと避難することを決められたそうです。 

 「誰もケガもしなくて、命も落とさなくて良かった」「地域の人が集まって、これからの対応を話し合って心強い」避難所では、そんな声が聞かれました。 

 昔からよく知っている間柄と、一歩踏み込んだ一言があったから、命を守ることができました。そして不安な避難所での時間も、お互いに励まし合いながら過ごすことができたそうです。 

 毎年のように起きる大きな災害。 地域の繋がりが、安全に、安心して暮らす大きな力となることを改めて感じました。       (実)

「今の自分のままでいい、と思えること」

「『○○くんのお姉ちゃん』と言われ、私の名前は呼ばれない」

「療育機関に行くと、皆私を通り過ぎて、弟の方へ行く」

「私は弟の付属品なの!?」

障害のある人のきょうだいたちの声です。わずかながらですが、きょうだい支援に関わり、これまで、そんな話はたくさんお聴きしてきました。

だからでしょうか。

「弟が不登校になった時、先生に『何で弟は学校に来ないんだ?お前は家族だろう?』と言われたんですよね」という話が気になってしまって。

不登校の子が心配なのも分かるのですが、先生の目の前にいる生徒も一人の子ども。この子はどんな気持ちになっただろう‥。

考えてみると、「きょうだい支援」の存在が、知られていないから、こうした出来事が起こるのかもしれない。

現に、福祉職の人と話す中でも、「きょうだい支援って何ですか?」と尋ねられる場面が多々あります。

あるきょうだい児は「支援者ではなく理解者がほしい」と言いました。この言葉はとても重く、そして的を射ているのではないか。そう思うのは私だけでしょうか?        (善)

「今の自分のままでいい、と思えること」

 最近の「かたる~む」には、毎回3,4名の方が来られています。皆さん精神面に何らかの不調を抱える人たちです。

 仕事している人、子育てや介護をしている人、調子を崩して退職した人、最近精神科に通い始めた人…。様々な立場の人が集まり、たわいない出来事を話したり、悩み事を他の人に相談したり、ただ皆さんの会話を聞いたりと、思い思いにゆったり過ごされています。

 以前参加された方は「ここに来ると、焦らず自分のペースでいいんだと思える」と話されました。精神的な障害を持ちながら生活する中では、周囲との差や以前の自分との違いに悩み、「前進しなければ」「良かった時の状態に戻らなければ」と焦り、生きにくさを抱える人も多いようです。

 生きやすくなるためには、変わらなければと頑張るだけではなく、居場所や人との出会いによって、今の自分のままでいい、と思える瞬間が大切なのかもしれません。時には休息しに立ち寄ってみませんか?            (喜)

「寄り添い続けること」

 先日ある写真家の写真展へ行きました。彼女は、12年間、毎月11日の月命日に東北へ向かっています。

 13回忌となった今年、出版した写真集のインタビューで「あれほどのこと、乗り越えられない。乗り越えるのではなく抱きしめる。そんな気持ちで通っている」と語っています。

 また、その写真家を知るきっかけとなった福島県出身のシンガーソングライター。彼女もまた福島をはじめ、熊本の南阿蘇などでのボランティア活動を行なっています。

 「自分にできることがなくて、ボランティア活動に参加するのが怖くなったこともあった。でも、沢山の地域の人と出会い自分自身が元気をもらっていることに気づいた。一緒にこたつに入ってお酒を呑んで…今はその人たちに会いに行っている」と、ライブのMCで語っていました。

 当事者でないと分からない気持ち。それでも、直接会って、見て想像する。震災だけでなく、誰もが生きやすいまちづくりには大切なことだと思います。当事者でなくても寄り添い続けることはできる…、2人の言葉に改めて気づかされました。(実)