福岡県筑後市の社会福祉法人 筑後市社会福祉協議会

悩みを打ち明けると状況は好転する

久しぶりに再会したきょうだい会の会員が、結婚し、もうすぐ出産を控えていると報告してくれました。

弟に知的障害があり、「私だけ幸せになって良いのだろうか」という葛藤を抱えていた時期もある彼女の報告に、嬉しさを感じました。
ところが、彼女の出産・育児を、両親がサポートするために、弟を施設入所させるという話が出ている、とのこと。

「私の結婚・出産のせいで弟が入所してしまうの?」「将来は施設入所を考えていたものの、私がきっかけになってしまった?」と、自分を責めてしまい悩んだ、と話してくれました。

そんな彼女は、「悩みを話せたことが大きかった」とも話しました。

「きょうだい会で知り合った人に連絡し、相談に乗ってもらえた。すぐに理解してもらえ、前向きになれた」と。

悩みを打ち明けると状況が好転する――。これは、きょうだい会に限らず、ひきこもり家族会や介護家族の会など、様々な場面で感じることです。

助けてと言えた時が助かった時。大事なのは、「助けて」と言える環境に身を置くことと、悩みを打ち明ける少しの勇気なのかもしれません。 (善)

恋の力

障害当事者のAさんは、初対面の私にも、楽しそうに交際中の彼との話を聞かせてくれました。Aさんの彼も同じく障害当事者です。

障害のある人の恋愛や結婚には、望まない妊娠のリスクや、金銭管理や家事など、生活を維持することの困難さがあることも確かです。

しかし、Aさんは周囲の支援を受けながら、順調に交際を続けています。そして、彼の存在が生活や仕事のモチベーションにつながっているようでした。

障害があるから・・・。リスクが高いから・・・。そんな風に、先回りして予防しようとしたり、遠ざけようとしたり、そう考えてしまってないだろうかと、自分自身を振り返りました。

それは、可能性や生きがいを奪ってしまっているのかもしれない。周りの支援や理解があれば実現できることはたくさんあるのでは、と気づかされました。

「今は離れて暮らしているから寂しいときもある。結婚して一緒に暮らしたいです」と目標を語るAさん。やはり「恋の力」は大きいようです。               (拓)

こんな支援機関がもっと近くにあったらいいのに

前号でも紹介した、不登校・ひきこもり家族会サルビアの会の視察研修(NPO法人スチューデントサポートフェイス/佐賀市)。私も研修に同行しました。研修後、冒頭の言葉を会員が口々に話していました。

そのことを私たち社協職員はどう受け止めればいいのか・・。

例えば、家族会の会員が、佐賀市に住んでいたとしたら――。

きめ細やかで多岐にわたる支援を受けることができる。ひきこもり本人に寄り添い、本人の願いに耳を傾ける人がいる。家族も安心して未来を考えることができる。

しかし、たまたま筑後市に住んでいるから、問題は解決できていない。

家族会や本人のためのフリースペースの運営などのわずかな支援では、全てを支え切れてはいないのが現実です。

だとすれば、それは紛れもなく、本人や家族の問題ではなく、支える側の問題ではないだろうか・・。

若者を支える仕組みがもっともっと必要。そんなことを感じています。(善)

勇気を出して相談してみると・・

「僕にもできるか心配だった。勇気を出して電話で相談してみた」

先日、とあるセミナーで知的障害のある男性が、自身のボランティア活動について話しました。

この方は、長年ボランティアグループに所属しています。活動の第一歩は、冒頭のような気持ちだったと言います。

しかし「行ってみると、みんなやさしく受け入れられた気持ちだった。ボランティアで人の役に立ててると感じると嬉しい」とのこと。

自分のペースで続ける中で、多くの出会いや、やりがいを得ることができたのだそうです。そして、いつしかボランティアグループが居場所の一つになっていたそうです。

一歩踏み出そうとする勇気。そして受け入れられ、必要とされていると実感できること。そんな大切なエッセンスのたくさん入ったお話だと感じました。

新たな活動の一歩は不安なもの。しかし、この男性のように、勇気を出して相談してみると、案外と良い方向に進むのかもしれません。(拓)

毎年、2万人を超える人が自ら命を絶つ日本社会に、私たちはいる。

アパート一室で男女9人の遺体が見つかった事件。

容疑者は、自殺を望む若者とインターネット上の交流サイトで知り合い、犯行に及んだとされます。「殺すことに慣れてしまった」という供述に、背筋がぞっとする思いがしました。

と同時に、「死にたい」と思う人が多くいるということにも、ぞっとする思いがしました。

被害者の家族や身近な人にとっては、「なぜ?」の思いや、後悔の念が交錯しているのでは…と思いもします

「死にたいほど苦しい」と、顔も名前も知らない人に打ち明ける…。インターネットという匿名性の高さゆえに、身近な人よりも、逆に本音を言いやすかったのかもしれません。

そう考えると、「死にたいほど苦しい」と思っている人は、周りに話さないだけで、本当はあなたの近くにいるのだと、言われたような気がしました。

毎年、2万人を超える人が自ら命を絶つ日本社会に、私たちはいます。「死にたいほど苦しい」という思いの背景に思いを馳せつつ、私なら何ができるのか…、そんなことを考えさせられています。           (善)

災害が起きた時。私たちの地域は・・?

「隣近所のつながりもある。今さら住み慣れた地域は離れられない」

朝倉市の被災者の方とお話しすると、このような言葉をよくうかがいました。住宅地では、道端に近隣住民が集まって話し込む姿も頻繁に目にしました。また、被害の激しかったある地域では、商店を利用して地域住民のサロン活動交流会がスタートしたそうです。

災害に見舞われ、身体的にも精神的にも負担の大きい生活を強いられる中で、「家に戻りたい」「住み慣れた地域に戻りたい」という思いが、被災者の希望になり、復興の力になっている。そんな風に感じました。

今号の記事の中では、日頃からコミュニケーションをとり、地域のつながりをつくっておくことが、いざという時に役に立つと紹介しました。朝倉の地域を見て、この「つながり」は被災後の地域を再構築する時にも、とても役に立つのだと実感しました。

さて、災害はいつ、どこで起こるか分かりません。そんなときに私たちの住む地域は「ここで暮らし続けたい」と思える地域でしょうか?

(拓)

泥を見ないで人を見る

九州北部豪雨の発生後、2カ月以上が経ちました。社協にも連日、「被災地支援をしたい」「ボランティア保険に加入したい」と多くの方が来られます。

私も数日ではありますが、職員有志や民生委員さん方と災害ボランティア活動に参加しました。

とある家庭では、納屋の片づけ。納屋自体も被災していますが、自宅を片づけるために、まず納屋を整理するという状況でした。

また別の家庭では、自宅周辺に流れ込んだ土砂の撤去作業等。家も住めるような状況ではありませんでした。

いずれの活動も、その地域の方や被災者と会話しながらの作業。休憩時間には、今の生活のこと、発災時のこと等を聞かせていただきました。

今回の主な活動は、「泥だし」「被災家具の撤去」等でした。しかし泥や被災家具が片付くことと、元通りの生活になることは、イコールではない。そんなことを知らされました。

あくまでも、生活再建のスタートラインに立つための活動であり、被災者支援のほんの一部分です。

「泥を見ないで、人を見る」。これが大事だと実感した活動でしたし、息の長い支援が必要だと感じました。

(善)

生活の質

「以前はよく施設の仲間と車イスで外出しました。ただ外に出たかったのではなく、痛みや寂しさを紛らわせたかったのかもしれません」
「ゆずり葉」の活動に同行し、ある施設を訪れた際、入所者のお二人からお話をうかがいました。
線路に車イスのタイヤがはまり危なかったこと。仲間と居酒屋でお酒を酌み交わしたこと。語られるエピソードは数十年前のことですが、どれも鮮明で「無茶もしたけど良い思い出」と笑顔で振り返られました。
そんなお二人ですが、高齢になったこともあり、外に出る機会も減ってしまったとのこと。しかし、先日ゆずり葉の協力もあり、九州芸文館まで出かけることができたと嬉しそうに語られました。
そんな外出の積み重ねが、出会いや経験、知識となり、私たちの生活の質を高めているのではないでしょうか。
しかし、障害者の外出にはハードル(障害)が多いことも確かです。まずは「外出したい」という思いの裏側にあるものに耳を傾けることが大切なのかもしれません。

(拓)

みんな支える側になる支えられ方

どちらかというと「他人の世話になりたくない」と考える人は多いのでは…。
先日、ある1人暮らし高齢者から「草取りが大変」という話を聞きました。そこで、「若者支援をしませんか?」と話を持ちかけてみました。
どういうことかというと・・。
ひきこもりがちだったり、求職活動中の青年数名と一緒に、高齢者宅で草取りをしました。
そして作業後。高齢者から青年たちに、お礼として工賃が渡されました。
高齢者は、仕事の提供を通し青年たちを支援しました。また、草取りをしてもらい助かりました。
青年たちは、草取りを通し高齢者を支援しました。また喜ばれる経験、達成感、そして収入も得ました。
さらに、当日は地元の民生委員や近所の方も来られ、和気あいあいとした時間となりました。
実は、こうした「高齢者支援」と「若者支援」をリンクさせた取り組みを、地域包括支援センター等と検討中で、その一環の活動でした。
他人の世話になるのが苦手なら、みんなで支える側になってしまおう、という考え方。そんな支えられ方も良いのかなと思います。      (善)

表面化しない貧困

口腔崩壊。未治療の虫歯が10本以上ある状態のことを言います。

兵庫県保健医協会の調査では、県内の35%の小中高校にこの口腔崩壊状態の子どもがいることが判明したそうです。一方で、全体的に見ると虫歯のある子どもの数は減少しているというデータも・・・。

一目では分かりづらい現代の貧困を象徴しているようです。

「表面化しない貧困。ただ、どこかにサインがあるはず・・・」
今回紹介したこどもカフェのスタッフの方もこのように語りました。
言葉には出さずとも、外見や表情、話し方などに現れる貧困。冒頭の口腔崩壊もそのサインの一つなのではないでしょうか。
「いつもと違う様子」はいつも近くにいるから分かること。見えにくいからこそ「違い」を感じられる人の存在が必要なのかもしれません。
現在、こどもカフェでは、夏休みに行うの学習支援のボランティアを募集中。この夏の新たな出会いが「困った」状態にいる子どもを支える第一歩になるのかもしれません。              (拓)