福岡県筑後市の社会福祉法人 筑後市社会福祉協議会

「言葉を合わせる作業」

 近所のスーパーにて。小学生の娘たちが「ジュースを買いたい!」と言うので、店内で別行動になりました。

 そして数分後。ジュースコーナーへ行ってみると・・。

 娘たちと高齢の女性が、双方で困った顔してる!そして、娘たちは黙り込んでいる!

 話を聞けば、子どもだけで買い物に来ていると思ったらしく、心配して声をかけてくださったようでした。

 「気にしていただき、ありがとうございます」とお礼を言い、この女性と別れた後、娘たちに「なぜ黙ってたの?」と尋ねると、「何をしゃべってるか分からなかった」と。

 それを聞いてハッとする。

 仮に本当にトラブルがあり、声をかけてもらっても、何しゃべってるか分からない、ということ?

 我が家は夫婦とも県外出身。筑後の方言は、子どもにとって馴染みのない言葉です。加えて、世代によって言葉が違うのも当然です。

 だから多世代交流や移住者交流が大事なのか、と感じた瞬間でした。

 言葉を合わせる作業が支え合いの土壌になっていく。そんなことを学んだ出来事でした。        (善)

「つながりあえる幸せ」

 人間関係が豊かな人は幸福度が高い。一方、人の悩みの多くを占めるのも人間関係である」ある講演で話された言葉です。

 一昨年、子ども会の役員をしてほしいと声を掛けていただきました。当時の私は引っ越したばかりで地域のことも分からない、知り合いもいない状況で、地域の人とつながりたい、という思いで引き受けました。

 各地では会員が減り解散する子ども会も増えているそうです。高学年になったら役員をしないといけない、みんなで計画したり準備したり大変そう…など、わずらわしさから敬遠する人も多いのだとか。

 初めて地域の役を経験し、他の役員と連絡を取り合ったり、話し合いや準備に参加したり、大変だと感じることもありました。しかし知らなかった地域のことが分かり、知り合いも増え、充実感もあります。

 人と関わり合うことは、幸福感と辛さ、相反するものをもたらす…冒頭の言葉を体験をもって感じました。人間関係で生まれる負の面もお互いカバーし合って、つながり合えた幸せをみんなが実感できるようなまちになったらいいな、と感じています。 (喜)

「地域のつながりが生まれた瞬間」

 年末年始、地元に帰り、元旦には久しぶりに、山奥にある氏神様にお参りへ行きました。子どもの頃は、時々父についていっていました。元旦には、地域の人が集い、焚火を囲んで、かっぽ酒を呑んで、おしゃべりしていたのを子どもながら眺めていた記憶があります。

 その慣習も、高齢化により地域の人が山に登ることも難しくなり、なくなってしまったそうです。

 せっかく登ったのでと、溜まっていた落ち葉を掃きながら「この階段は、自分たちで作ったとよ」「山道の落ち葉を下まで地域の人で手分けして掃除しよったとよ」という両親の話を聞きました。

 きっと大変なこともあったと思います。でも昔の人は、地域の人で集まることを楽しんでいたんだと思います。そして、地域の繋がりは、そういうところでも生まれていたんだろうなとも思いました。

 綺麗になった山道をみて、スッキリした気持ちで下りてきました。変わっていくことも多いですが、地元を離れていても、楽しみながら出来ることはあるかもしれない。そう感じたお正月でした。     (実)

「手伝いましょうか?」を素直に受け入れることができるだろうか

たくさんの汗をかき、ふらつきながら、ゆっくり歩く高齢者。そんな場面に出会いました。万が一、転ぶと危険だと思い、声をかけてみたのですが…。

 「荷物持ちましょうか?」「家まで送りましょうか?」しかし答えは、「大丈夫です」「人様に迷惑をかけないよう、自分だけで行動しています」と。

 かといって、「分かりました」とは言えず、一緒に歩くことにしました。聞けば数十メートル先に停めた車に向かっているとのこと。

 途中、近所の方も心配して出てこられ、口々に声をかける。しかし、誰の声掛けも「大丈夫です」と言われる。

 約1時間かけ車に到着。「ご迷惑をおかけしました。人に頼っちゃいけないと思っています」と言われました。

 確かに「できるだけ自分でやりたい」という願いはある。だから、この方の選択は正しいと思う。しかし、例えば、手助けを受け入れて、お互いに「良かったね」と言い合える選択肢もあるのではないかな‥、と。

 ただ、見知らぬ人の「手伝いましょうか?」の問いかけを、私なら素直に受け入れることができるだろうか。

 ゆっくりと動き出す車を見送りながら、そんなことを感じていました。(善)

「まほうのシール」

 電車やバスの中、飲食店など静かにしてほしい場面で幼い子どもが泣き出して焦る親。すると居合わせた人が子どもにそっとシールを渡す。もらった子はピタリと泣き止む、という「まほうのシール」の取り組みが広島で始まり、福岡にも広まっているそうです。
 もちろん、そんなことでは泣き止まない子、ビックリしてもっと泣き出す子もいるかもしれません。しかし、シールのねらいは、子どもを泣き止ませることだけではないそうです。その台紙の隅っこには、「大丈夫ですよ」と、小さく書かれています。肩身の狭い思いをしている中でこのメッセージに触れた親は、「温かいまなざしで見てくれている人がこの空間にいる」と感じ、それだけで安心できるのでは…。

 子どもが泣き止まなかったとしても、親の心を軽くできることが大事な効果だと思います。

 このまちにもそんなまなざしを持つ人は沢山いますが、伝わらず肩身の狭い思いをしている人もいるかもしれません。伝え合い・つながり合えたら、今よりもっといいまちになるのかもしれませんね。    (喜)

「地域の誰かとあなた自身の安心に」

 就職で他県に住んでいた時、大雨で、浸水や土砂崩れが起こり、数日間、市が孤立する水害に見舞われたことがありました。

 たまたま上の階に会社の同期が住んでいたので避難させてもらいました。しかし、同期がいなければ、知っている人もいない避難所に一人で行く勇気もなく不安で怯えながら過ごしていたと思います。また、そのような気持ちで過ごしていた方が近くにいたかもしれません。

 体調の変化や、自然災害など暮らしていて不安に感じることがあります。身近に住む地域の人と日頃から顔を合わせておくことはとても大切なことだとその時に実感しました。

 10月1日より、赤い羽根共同募金がスタートしました。集まった募金は様々な地域福祉活動や災害時の支援などに使われています。

 地域には、色んな方が暮らしています。誰しも不安や困ったことが起こることがあります。「困ったときはおたがいさま」「じぶんのまちを良くするしくみ」として運動している共同募金。地域の誰かとあなた自身の安心に繋がっています。(実)

「次にヒーローになるのは貴方かもしれません」

 知的障害のある高校生に起きた出来事です。

 定期的なバス移動が必要になったため、親子で何度も練習。いざ一人でバスに乗る日、お母さんも本人も不安でいっぱいでした。

 不安な気持ちで乗車すると、「どこのバス停で降りるの?」と運転手さんが声をかけてくれました。「『○○です』と言えたから安心できた」と本人。

 「本人の様子を見て、想像力を働かせてくれたのでしょう」とはお母さん。

 以降、安心してバスに乗れるようになりました。少しの理解と、さりげない声掛けで、本人の可能性が大きく広がりました。

 見た目では分かりにくい障害――。実は不安感や困り感、孤立感を感じている方も少なくありません。この子もそんな一人でした。

 そこに登場したこの運転手さんは、まさにヒーローのようでした。

 想像力を働かせ、さりげなく声掛け、見守る…。次にそんなヒーローになるのは、この記事を読んでいる貴方かもしれませんね。   (善)

「コロナは人と人を遠ざけようとするウイルスだと思う」

記事にも紹介した地域の方の言葉で、私もそう感じています。学校でも地域活動でも様々な制限が求められ、子どもから高齢者まで交流の機会が減り、つながりの形は変容しました。

 しかし、今まで見えていなかったことに気付かされたこともありました。

 私自身が感染し自宅療養中。近所の方たちや友人が心配し、買い物や食事に困っていないかと、次々に差し入れを玄関先に届けてくださいました。こんなにも気に掛けてくれる人が身近にいたのだ、とつながりの有難さ、心強さを感じました。

 一方、近所の方が「必要な物があったら買い物してきましょうか」と声をかけてくれたものの、そんなに頼って良いものか…とためらい、結局市外の身内にお願いしたこともありました。

 誰にでも非常時は突然やってくること、自分も周りに助けてもらわないと生活できないことを改めて自覚しました。それを普段から意識し、いざという時に助けてもらえる心構え【受援力】を身に着けておくことが大切かもしれない、と学ばされました。(喜)

「幼馴染が話してくれたこと」

記事にもあるシブリングサポーター研修。冒頭、素敵な言葉で始まりました。

 「今日の話がきょうだい自身や親御さんでなくても、心に刺さりすぎることがあります。どうぞ上手に自身の心を守りながら聞いてください」

 私の幼馴染は、小学生の時に兄弟を亡くしています。

 大人になって話してくれました。

 「実は、誰にも言えなかったけど学生時代が本当にきつかった。その頃から誰かに分かってもらいたいと期待することをやめてしまった」と。

 シブリングサポーターのような気持ちを伝えられる人がいれば、もっと楽に生きられたんだろうなと思いました。

 「家族に自分の気持ちを全部分かって欲しいと思ったこともあった。けれど、責め続けるのもつらいから、仕方ないところもあるのかなって、許すことができた時、楽になった」とも話していました。

 今では沢山笑う幼馴染。自分が心から楽しいと周りも楽しいことを知っているみたいです。   (実)

「もし加害者の青年に会ったら、あなたは何と言いますか?」

本紙で紹介した奥田知志氏の講演では、「相模原事件」も話題に。

加害者の青年は、「役に立たない障害者に多額の税金を使うのは皆の迷惑だ」「障害者は不幸しかつくれない」と、受け入れがたい主張をしました。

 そんな青年に、奥田氏は4年前に面会したと話されました。

 「君はあの事件の直前、役に立つ人間だったか?」と尋ねたところ、一瞬考えこみ「僕はあまり役に立ちませんでした」と答えたそうで、「この事件の真相は、この辺りにあると思った」と言われました。

 つまり、「役に立つ」「立たない」で線引きされている世の中であり、役に立たない者は必要ないという、いわばうば捨て山社会になっていないか、と。

 であれば、「19人をも殺めたあなたに生きる資格はない」と言ってしまうと、青年の受け入れがたい主張と同義になってしまう。

 「何のために生きるか、ではなく、生きること自体に意味があるという捉えなおしが必要」と氏。そして次の言葉で講演は終わりました。

 「もし加害者の青年に会ったら、あなたは何と言いますか?」   (善)