福岡県筑後市の社会福祉法人 筑後市社会福祉協議会

「行方不明になった夫」

 「認知症の夫が行方不明になった」と介護家族の会の会員さん。

 「入浴中のほんの僅かな時間に家を出て行った。何度電話しても出ない。スマホの操作法も忘れている」

 「警察へかけこみ、捜索願を出した。警察から改めて夫の携帯へ電話してもらったら…、知らない人が出た。夜中にパジャマ姿の夫を見かけ、保護してくれた方だった。無事に見つかって本当に良かった。今は靴の中にGPSをしのばせている」

 「最近は私の名前も忘れた。私は目の前にいるのに『妻がいない』と言う…。夜中に何度も起こされる。ここ最近は3時間くらいしか寝れない。本当に介護は大変」

 そんな話を聴きながら、他の会員さんが次のように話されました。

 「私も認知症の義母の介護は大変だった。介護する家族の側が倒れるのが一番良くない。だから、あなた自身の体を優先してほしい」

 同じ介護家族だからこその会話。同じ言葉でも、同じ介護者だからこそ分かり合えるような気がします。

 家族の会での交流、家族同士のつながりは大切だと感じました。  (善)

「大したことではない、できることをする」

 今回のインタビューで、よらん野店長下川さんは、「大したことはしていない。できることをしただけ」と話されました。その言葉が私の中で、一番印象的な言葉でした。

 よらん野さん、生産者さん、社会福祉協議会、それぞれの「強み」を生かすことで、グリーンフードパントリー事業になりました。

 「強みは当然としてできるので気づかない」という言葉があります。自分の強みは、当たり前のように苦労せずにできるので、自分では気づきにくいものだということです。

 私自身、自分の強みはなんですか?と尋ねられた時、何も思いつかず困ってしまいました。

 その時、先輩が、「自分では気づいていないかもしれませんが、あなたのコミュニケーション能力は素晴らしいと思っていますよ」そう伝えてくれました。

 私にとっては、誰かと話すことは当たり前にいつもしていることだったので、自分の強みだと気づいていなかったのだと気づきました。

「大したことではない、できることをする」それが何かを始めることや、続けるために、大切なことなのだと感じたインタビューとなりました。      

 

「“人として”関わる」

 数年前、歴史が好きな家族に連れられ、愛媛旅行で正岡子規記念館へ行きました。

 両親とは違い、歴史にあまり関心がない私の正岡子規のイメージは、“印象的な横顔の写真”と、“結核で亡くなった有名な俳人”というものだけでした。

 幼少期から亡くなるまでのさまざまなエピソードが工夫を凝らし展示され、夢中になって気づけば2時間も滞在していました。

 帰るころには、正岡子規のイメージが、「どれだけ体調が悪くても食べたいものを食べる、食べることが好きな人」へと変わっていました。

 「人として」知ることで、親近感と興味を持ち、もっと知りたいと思う体験でした。

 見た目や国籍、性別、経歴などで人を区別したり、無意識なイメージを持ってしまうことがあります。

 しかし、知ろうとしてみると、イメージと異なる、沢山の気づきがあります。無意識なイメージを減らし、多くの人と「人として」関わること、それが私の今年の目標です。 (実)

「安心してどもれる人だっただろうか」

 「先生たちに知ってほしい吃音のこと」というリーフレットがあります。
吃音は、頭の中では分かっているのに、円滑に話せなかったり、スムーズに言葉が出てこない症状のことで、子どもの発症率は20人に1人と言われています。
 そのリーフレットには、「時間がかかっても、話し終えるまで待ちましょう」「話し方よりも、話の内容に注目しましょう」とありました。
  ということは、話の途中で遮られたり、話し方をからかわれ悔しい思いをした吃音者が多いということでは…。
 また紙面には、「周囲に吃音を受け入れてもらえるかの不安」「からかいや偏見への恐怖」という吃音者の声も紹介されていました。
 つまりは、「言葉が出ない」ことよりも、周りとの関わりの中に生きづらさがあるということになります。
 今秋、吃音の青年を実習で受け入れました。彼にとって私は安心してどもれる人だっただろうか。問われているのは彼の吃音ではなく、「私」なのかもしれません。    (善)

「助けて」と言えると助かる

 先日、コインパーキングから出るためにお金を払おうとしていたとき、すぐそばで自転車が止まりました。見ると、高校生らしき男の子で、鼻血が出ていたようでした。心配に思いましたが、ジロジロ見るのも失礼だし…、知らない大人に声をかけられても迷惑かもな…、と声をかけられずにいました。 
 すると、その高校生が「すいません。鼻血がでました。ティッシュはありませんか?」と私に声をかけてくれたのです。
 私は、「大丈夫?」とティッシュを取りにいきながらやっとその高校生に声をかけることができました。
 少しすると鼻血が止まり、お礼を言われました。私もお礼を伝えました。その高校生が声をかけてくれたおかげで、すがすがしい気持ちで帰ることができたからです。
 何か困っていそうな人がいたら協力したいと思っていても、相手にとってそれが良いのか悪いのかわからず、躊躇してしまうこともあります。「助けて」と言ってもらえるとそのハードルはぐっと下がるんだなと思った経験でした。   (中)

「声をかける、ちょっとの勇気を」

 先日、「今のクラスが嫌い」と言い出した娘。理由を聞くと、体調を崩して休んでいた子が久しぶりに登校してきても、「大丈夫?」「治って良かったね!」など、誰も声を掛けない。同じように自分が休んでいた時も声を掛けてもらえず、何だか寂しかった…と話してくれました。

 そして、児童養護施設で過ごしていた人が「私たちのことを気に掛けてくれる人の存在に、気持ちが救われた」と話されていたことを思い出しました。自分自身を振り返っても、不安や寂しさでその場にいるだけでも精一杯という状況で、気付いて声を掛けてもらえた瞬間に安心できたことを覚えています。

 何かを手伝ってもらうでもなく、ただ自分を気に掛けてくれている人がいる、と感じられるだけで、その場の居心地が良くなり、そこが自分の居場所になっていく…。生きていく上では、そうした人の存在が誰にとっても必要なのだと、娘のつぶやきから改めて気付かされました。

 まずは、周りの人のことを気に掛ける、ちょっと勇気はいるけど声を掛けることができるようになる。それが娘と私の今の目標です。 (喜)

「僕たち・私たちのことを考えてくれる人がいたんだな」と思い出せる経験の提供

「夏休みはいらない」。そんなニュースを目にしました。

つまり、困窮している家庭にとっては、「給食がなく食費がかかる」「エアコン代等の利用で光熱水費が負担になる」というのです。

また、学校外で得られる体験や機会にも格差が生じる「体験格差」も指摘されています。

このような、「子どもの貧困」が社会問題化して久しくなりました。

一方で、「地域の子どもたちのために何かできないか」と考える大人が増えているのも事実です。

学習支援・食事提供・遊びの場の提供など、今夏も複数の地域で、子どもの居場所づくりに取り組まれました。そこには多くの子どもが集い、安心で安全な環境で過ごせました。

私たちにできるのは、「僕たち・私たちのことを考えてくれる人がいたんだな」と、思い出せる経験の提供なのかもしれません。

そして、誰もが安心して集える居場所は、例えば困窮している家庭の子も、気兼ねなく安心して集えるのだと思います。 (善)

「公園には今もきれいな花が咲いています」

 近所にある公園は、ボランティアグループの方が毎日のように清掃や花の世話をされて、いつもきれいで住民憩いの場となっていました。
しかし高齢になり活動が難しくなったため、今後は地域の活動としてやってもらえないか、と地域の役員へ相談があったとのこと。

 そこで地域としてどうするか、役員会で話し合うことに…。その中では、役員で分担して水やりする、住民へ協力を呼び掛ける、花を育てるのをやめる、といった案が出されました。

 その場の結論は、今咲いている花が枯れるのを待ってその後は植えない、でした。どの家庭も忙しい中お願いできない、負担を感じて区を抜けたいという人も出かねない、などの意見が多かったのです。
効率性を考えることも必要で、やむを得ないと思う反面、寂しさも感じました。

 しかしそれから一年。公園には今もきれいな花が咲いています。やはり、長年地域を想い行動してきた人の思いを、できる範囲でも繋いでいきたい、と続けることになったのです。花を見るたび、温かい人が身近にたくさんいる、と嬉しさや心強さを感じます。   (喜)

「みんな支え合って暮らしている」

 高校生でヤングケアラーとなり不登校を経験した方の本を読みました。

 自死寸前まで追い込まれたこと、相談していいのか葛藤したこと、信頼できる先生に打ち明けたことが好転のきっかけとなったことなどが書かれていました。

 その本の中にこんな言葉も。

 「食べることも、生活することも、みんな誰かに助けられている。そう考えると助けてもらうことのハードルが低くなりませんか」と。

 数年前に、お金を払っているんだから「いただきます」は、言わなくていいという考えが話題になったことがありました。

 「いただきます」には、食材を作ったり、運んだり、時間という命をかけてくれた方への感謝の気持ちも込められています。

 忘れてしまいがちですが、みんな支え合って暮らしているのです。

 誰かに頼ったり、助けてもらうことが難しいときがあります。しかし、誰もが支え合って暮らしていると思うと、助けてもらうことは特別なことではないなと感じました。(実)

「困っていること以外の部分を見てみませんか?」

「資格取得のために行った実習先で『あなたが実習して何になるの?』と言われたことが、心に刺さっている」

 社会福祉士の有資格者の話です。

 この言葉が投げかけられたのは、彼には脳性麻痺という障害があり、車イスを利用しているから、でした。

 そんな彼は、障害者プロレス団体に所属し、何度もリングに上がっていました。また、旅行が趣味で、日本各地に赴いています。

 しかし「自分らしい生き方よりも、『障害者=困っている人』と見られることばかり。困っていること以外の姿を、世の中の人は見ようとしているだろうか?」と言われてしまいました。

 昨今、「地域共生社会」という言葉が多用されます。地域で共に生きる社会を目指すわけですから、ある時は支え、ある時は支えられるという、人と人の関係性が流動的であることが、自然な姿なのだろうと思います。

 そう考えると、前述の彼の次の言葉が、そのヒントになる気がします。

 「困っていること以外の部分を見てみませんか?」        (善)