「みんなどもっていて安心する」
昨年、縁あって、言友会(吃音の人たちでつくる団体)の全国大会に参加させていただきました。当然会場にいる方のほとんどが吃音の方で、その程度に差はありますが、皆さんどもりながらお話をされていました。
そんな中、ある参加者の方が冒頭の言葉を言われました。みんなどもっていて安心するという言葉の背景に、様々なものを感じてしまいました。
それは、普段は安心して話せる場所がないということ。どもることを気にしながら、日々を過ごしておられるのだろう…と。
学校や友人関係などを始め、就職、恋愛等様々な場面で悩んできたという吃音の方のお話はこれまでにも聴いてきました。
しかし、これらには、全て「相手」があることで悩むものです。会話する相手との関係性の中に、悩みがあるのです。
冒頭の彼は、治したいというよりも、安心してどもれる環境を求めています。理解が広がれば、そんな環境が増えていくのだと思います。
そしてーー。吃音の方の「相手」になった時、安心してどもってもらえる人でありたい。知ってしまった以上、そう自身に問いかけています。(善)